Thursday, January 21, 2010

漢字は疲れる

いつも不思議に思うんだけど、どうして駅の本屋ってああも品揃えが悪いのだろう?

私はそれほどめずらしい好みをしているわけではないのに、いつもいつだって絶対に好みの本が見つからない。なにも活字に限ったことではない。漫画も、雑誌もだ。

あるジャンルといったら週刊誌、新聞、スポーツ新聞、ライトなエロ本(これが意外と豊富なのだ)、競馬新聞(売っているところを見たのはそういえば初めてだ)、占い、ノウハウ本、生き方本、くせのない推理小説、さわやかな青春小説、恋愛小説、文庫漫画、ガイドブック(これは当たり前にとても多い)こんなところだ。

成田空港の本屋は恋愛マニュアル本が目立って多い。私に最も縁のない本だ(ごくたまにむずがゆくな
りながらめくるのは面白いけれどさ)。

小説の文庫本はどこでもまあまあ売ってはいるが、カタカナの作家がほとんど置いていない。

これも不思議なことだ。

移動中に読むのなら、読んでそのまま置いてこられるような軽いものがいい、できれば新幹線が目的地に着く間限定の、1.5~2.5時間くらいで読み終わるものがベストだ。

このためには目にやさしい本であることが絶対条件。

目にやさしい本とはつまり、漢字の少ない本のことだ。薔薇だとか蕎麦だとか鮒だとか痙攣だとか檸檬だとか、書けと言われたら困ってしまうが、なぜか多くの人が読める漢字であっても、紙の上にならんでいると「ちっ」と思ってしまう。

ごちゃごちゃしたものを見ると目が疲れるからだ。

考えてもみてほしい。ありふれた白い壁の部屋と、幾何学模様の壁の部屋、どっちにいるほうが疲れるだろうか?

本だって同じである。余白が多いほうが目には楽だから、その分脳も疲れず、集中力を持続させること
ができる。

それなのに……話を戻そう……気楽に読みたい長距離移動中の読書。

絶対に日本人作家のほうが統計的に多く漢字を使うのだ。何せ名前が漢字なのだから。地名だって食べ物の名前だってそうだ。日本人作家が書いたもののほうがどうしてもページが黒っぽくなる。同様の理由で私には日本史よりも世界史のほうが数段わかりやすかった。日本むかし話よりもイソップやアンデルセンの童話を好んだのも、だからなんだなぁ。

「津嶋は眞鍋を誘って立ち食い蕎麦屋に入った。」よりも「アリスはシンディを誘ってコーヒーショップに入った。」のほうが絶対に絶対に目にはやさしい。

何ならもう一例。

「彼は滋賀県から来た。」

「彼はデンヴァーから来た。」

ほら、ね。

デンヴァーなんてどんなところかわからない。想像もつかない。そんなんじゃ頭が疲れる。漢字が多いなんて問題にならないくらい。滋賀県のほうがいい。

こう思う方がすごくたくさんいらっしゃると思うから私の意見で反論しよう。

悪いけれど滋賀県のことだって私はデンヴァーと同じくらいわかっちゃいない。だったら見た目があっさりしているほうがいいね。

私と同意見の人が増えれば駅や空港の本屋はもっと充実するに違いない

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