Friday, March 5, 2010

凝り性



私ってやつは、もうどうしようもない凝り性なもので、オリンピックの影響でフィギュアスケートの魅力に取りつかれてしまって数日後、もう銀盤に踏むことになった。フギュアスケートってもろに私好みの世界だもの。みんないい意味でわざとらしくて。

いやあ、むずかしいね。スケートって。

くるくる回るのはおろか、滑ることもままならなかったよ。

子どものころに行ったときは案外滑れたものだから、今もまだ大丈夫だろうと油断をしていたら、残念なことに泣きをみることになった。

子どものころね。懐かしいなあ。雪国出身でもないくせに、なぜか父親に無理矢理スケート場に連れて行かれ、否応無しに特訓された記憶が頭をよぎる。思えばスケートは父親が娘に自慢できる数少ない特技の一つだったのだろう。

もっともっと特訓されていれば、そして私が飽きてしまわなければ、すごく才能があったなら。

いまごろもっと違う毎日を送っていた可能性だって0%とは言えない。

しかしあれほど難しいとは思ってもみなかった。ああでもないこうでもない言いながらテレビを見ていた私って、今考えるとえらそうだった。

スケートに行ってますますスケートにはまったので、最近ユーチューブで見る動画といったらもっぱらフィギュアスケートばかりだ。

もちろん「イナバウアー」も見た。当時は全然興味がなかったので見なかったのだが……。

あれって一瞬なんですね。もっと長時間やるのかと思った。きれいだけれど、地味、だよな(またまたえらそうなことを言うようだけれども)。

イナ・バウアーさんの名にちなんでだとは知らなかった。コマネチみたいなものですな。

本当は「シェー」がやりたかったのだが、ぜったいに転ぶだろうと思ってやめておいた。まあ、賢明な選択だったと思う。それで大けがでもしたらしゃれにならない。それっぽいことはやってみたけれどさ。

フィギュアに話を戻すが、今年の浅田、キム両選手のように歴史に残る名勝負というのが他にもあったらしい。知っているかたも多いと思うが。

1988年カルガリーのブライアン対決!

あれはどうしてもリアルタイムで見たかった。

一説によると、マスコミが勝手に騒ぎ立てただけで、当人同士はそれほどライバル意識を持っていなかったともいうが、マスコミに踊らされてでも楽しませてもらいたいと私は思った。

ブライアン・ボイタノ(金)とブライアン・オーサー(銀)だったら、私はだんぜんボイタノ派だ。

お二人の演技は見れるかぎり見た。オリンピックのものもそうでないものも。

オーサーのほうは見た目もそうだが、繊細な感じ。勝手なイメージだと、ナイーヴな、育ちのいい不良少年風。母親か父親と確執があり、トラウマを抱えている、そんな感じだ。実際はぜんぜん違うのだろうけれど。

多くの女性たちの母性本能をくすぐったことだろう。

今はコーチとして有名みたいですね。

ボイタノはすごいとしか言いようがない。

正確な演技とジャンプは人間離れしている。ロボットみたいだ。

あの、スプレッドイーグル(だっけ?)ってやつがすごい。背筋を伸ばして後ろに傾いたまま滑るやつ。得点にはならないみたいだが、本当にすごい。ヒトとして不自然な体勢だ。まねして多くのひとが犠牲になったことだろう。

プロになってからの演技もすばらしかった。椅子を使うパフォーマンスとか、美女と野獣とか。

彼の雰囲気も私好みだ。古き良き時代のミュージカルスターのよう。

昔のミュージカルスターはいいよ。人を楽しませるためだけに存在しているようで(スクリーンの中だけの話だが)。あれだけ芸達者だとどうしても人間離れしてしまうよな。

ボイタノにしろミュージカルスターにしろ、そこがいいのだ。

人間くさいものが好きな人もいる。そういう人のほうが多いかもしれない。しかし私は違う。それが自分と無関係な世界であればあるこそ、完璧なものが見たい。

当たり前の話だが、完璧なものを生み出すには多大な努力と客観性が必要だ。それらを完璧なパフォーマンスの中から我々一般人は感じ取って「よし、自分も頑張ろう」と思えるのだから。

完璧でないものでもそう思えないわけではないが、より完璧に近いほうがダイレクトにそれが伝わってくる。余計な個人的感情をまじえなくても。個人的感情とはどういうことか。

つまり、パフォーマンスしている本人に付随するあらゆるものが、その完璧なパフォーマンスの前では姿を隠してしまう。だから「人間離れ」してしまうのだが、それはパフォーマーが人間らしい心を持っていないという意味ではない。なのに見ている側にはそんな風に映ってしまう場合もある。残念なことだ。

人間離れしたものを認めるのは、ただ「すごい」と思えば済むことなのに、そこにどうしても感情的なもの(感情の中でも高級とされる同情などがその代表だろう)を求めたがる人が多いから、人間離れしてしまうほど完璧なものは「うまいとは思うけど……」「欠点はないけれど、面白みに欠けるよね」などと言われてしまいがちだ。

完璧なものを「すごい」と思うのも感情の一つだと思うのだが、どうもそれは複雑でないせいか高級な感情ではないらしいのだ。

まあ、サーカスだとか、鍛錬し、人間離れすることによって命にかかわるようなものの場合、また違ってくるのだろうが。

完璧が求められるものは年々減ってきているように思う。これだけ機械に頼りっぱなしの時代では、余計に人間らしい欠点が美点に変わるものが求められるのかもしれない。

しかし、完璧なものが人を惹きつけるのも事実だ。自分を高級な感情の持ち主だと思いたくて、自然な程度のすごさを求める人であろうとも。

そうでなければこれほどフィギュアスケートがブームになったりするだろうか。

このブームを機に、わざとらしいもの全般がもっと見直されるようになってくれたら、私は2010年に生きることを誇りに思えるだろう。


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