Saturday, July 31, 2010

猫のいる書店


ニューヨークには、猫のいる書店が多かった。

個人経営の古本屋だけではなく、それなりに広い書店でも、彼らは気持ち良さそうに寝転がっていた。

もう、鉄棒にくくりつけて「豚の丸焼き」のポーズをさせたいくらい可愛かった。私は可愛い生き物を見るとあのポーズをとらせたくてたまらなくなるのだ。

思えば最近猫派になってきたかもしれない。ずっとずっと犬派だったのに。

これまでだって猫が嫌いだったわけではない。相当好きなほうだったと思う。だが、飼いたいと思ったことはなかった。昔は家にアレルギーの人間がいたため、どれだけ願っても飼えないし、今は壁紙のためを思うと猫のいる生活を夢見ることさえ罪な気がする。そして何より、死に目にあえなさそうなところが恐ろしい。猫というやつは自らの死期を悟ると勝手にどこかに行ってしまい、もう二度と帰ってこないのだ、とこれまで何十人もの愛猫家から聞かされてきた。

人間の身勝手なのはわかっているが、同居人が天命をまっとうした時は、きちんと見送ってやりたいし、形式的な処理をあれこれすることで、自分に区切りをつけたい。

ある日突然飼い猫がいなくなったら、10年経っても20年経っても、どこかで生きているかもしれないと無意味な希望を抱いてしまうだろう。

右足から階段を上り続けている限り、うちの猫は何事もなかったように帰ってくるかもしれない。もう寿命が尽きているって?そんなこと関係ない。世界には一匹くらい30年も40年も生きる特異体質の猫がいるかもしれないではないか。うちの猫がそれかもしれないじゃないか!

いい年になるまで、もしかしたら一生そんな風に思い続けなくてはならないかもしれない。

そんなの絶対にしんどい。

その点犬なら私の家で死んでくれるだろうから、いなくなってからのからの精神的負担が少ないように思える。壁だってぼろぼろにしないし、散歩でおしっこをしてくれるからトイレと同じ部屋で物を食べる屈辱を味わわないで済む。

だから私は犬派だった。猫を飼いたいとは思わなかった。

しかし、こうやって本といっしょに眠る猫を見ていると、長年の主義を変えなくてはならないような気もしてくる。

我が家の山積みの本の上に猫が寝そべっていたら、どれほど私は幸福だろうか。ぐっと性格がよくなるような予感さえする。

それにしても猫というやつは本のそばにいるのがよく似合う。書店にいるのがとんでもなく似合う。

猫にはあまり社交的なイメージはない。しょっちゅう書店にくる客にも、店のおやじにも、社交的なイメージはない。

読書好きには、一人の時間が好きで、ほどよい他人行儀を心地よく思える人間が圧倒的に多いだろうから、たいていのことには無関心な猫とは相性がいいのだと思う。だから書店にもあれほどまでに馴染んでしまうのだろう。

あくまでも私の憶測だけれどさ。

しかし、社交的な愛猫家って「なんだか違う」って思うんだよな。そんなこともないのかしら?














3 comments:

  1. うちの嫁に来ればバカで美しい猫と同居できますよ。
    異常に人なつこいのが玉に傷ですが。

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  2. >しかし、社交的な愛猫家って「なんだか違う」って思うんだよ
    >な。そんなこともないのかしら?

    「犬は喜び庭駆け回り、猫はコタツで丸くなる」って歌詞からも、犬はアウトドア、猫はインドアって感じしますよね。
    飼い主も、それぞれのペットの特性に合った性分をしているという予想もわかります。


    猫かー。猫と人間って友情関係持てるんですかね。犬と人間が持つような。
    僕はどうも猫が信用なりません。唯一見た部屋で飼われている状態の猫は、気性が激しくて、飼い主もひっかかれるのを恐れて近づけないという状態でした。

    また雌猫は、発情すると信じられない声で昼夜構わず泣き叫ぶらしいです。

    その点、犬はいいですよ。特にチワワは最高です。温厚でかわいくて、小さいからエサ代もかからず、薬の量も少なくて済む。もし家にトイレを置かないなら散歩させなきゃいけないのが面倒ですけどね。

    アンリさんは猫とチワワどちらでも似合いそうですね。

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