Wednesday, January 27, 2010

ミンク



ミンクのコートを買った。やっとだよ、やっと。

う〜ん、すごく暖かい。ラビットやフォックスよりずっと暖かいのは気のせい?一昨年買った呪いのファーコート(※以前の記事参照)は結局何の毛だったのだろう。

毛皮に詳しい人が言うには、ラベルにあるサガミンクというのは高級なものらしい。色、艶などから見ても偽物ではないとのこと。定価100万はするとかしないとか(全然そんな風には見えないけれども)。当たり前のことだが、定価でなんて買うわけがない。

中古ですよ、中古。だいぶ古い物のような気がする。バブル期ではないだろうか。

これをそのままズバリ、バブリーに着てしまうと大変なことになるので、気をつけなければならない。そうでなくても私ボディコンやヴィンテージシャネルが大好きなのだから。

なるべくスニーカーや山谷で買ったネルシャツや、セルジュ・ゲンズブールなどが好んで履いたというレペットのレースアップシューズなどと合わせている。

しかしまあ、なんと素晴らしい毛並みだろう。ほれぼれする。たまにこういう質感の短髪を持った人がいるが、彼らもこのミンクも健康的でつやつやしている。

これだけ暖かくて、見た目も私好みの毛皮を持った動物がどんな姿なのか知りたくて、早速(というか今更)検索してみた。一番下の画像の奴がそうなのだが……。

思っていたよりずっとかわいらしい。こんなにかわいらしい生き物の毛皮を剥いで、ぬくぬく暖まって暮らしているなんて我ながら残酷だ。そんな風に思わないでもない。だが、これはもともと誰かが着て、もしくは売れ残っていたものなのだ。私が皮を剥いだわけでもないし、私のために誰かが剥いだものでもない。あのまま誰も買わないで店頭に残って、あちらこちらをたらい回しになったあげく、邪魔なゴミになっていたかもしれない。それよりは目一杯着たほうがいいのかもしれない。まあ、こういう毛皮好きがいるから豊かな毛並みを持った動物が犠牲になるのって説もあるのだが。

犬を食べて以来、こういったことをぼちぼちだが身近な問題として考えるようになった。食べてこんなに成長した(と勝手に思える)食材もそうそうない。

何も毛皮なんか着なくたって……。という人もすごく多い。かわいそうだとかではなく、重たいし臭いし手入れが大変だし太って見えるしコーディネートしにくいし。理由はいくらでもある。だったらダウンでいいじゃん。何度も言われたさ。

けれど毛皮のほうが私にとって利点が多いのだから仕方ない。

ダウンって軽いし暖かいし臭くないけれど、あんまり似合わない。ミシュランみたいになってしまう気がする。筋肉もりもりみたいになってしまう気がする。毛皮より気太りするように思う。

コーディネートだってダウンのほうがしやすいってこともない。

私の普段着るカジュアルな服装にダウンだと、ものすごく適当な感じになってしまう。ダウンにジーンズにスニーカーできちんとした物を食べに




それにしてもMakBookの使い勝手の良さは最高だわ!!以前よりも人生が少しばかり楽しくなった。きっとオタクっ気のある人にはうってつけなんだろうな。

んもーう


この、古き良きアメリカファッションと髪型、そしてノートパソコンに見えるものとのギャップがたまらん!!!

Monday, January 25, 2010

再始動


今更ですが、こっちでブログをやってもいいという許可が事務所がらおりたので、こっちで本格的にブログを書き始めることになりました。

18禁ではないので卑猥なことはなるべく載せないようにします。

あ、それからツイッターも始めました。


そんなわけで引き続きよろしくお願いします。

これがそれです


空前のマイケル・ジャクソンブームである。街では毎日のように彼の曲が流れている。これが一年前なら信じられない現象だ。

80年代大好きの私としてはいい流行だ。長年のファンの方の中には、何さ、いまさら。手のひらを返したように・・・・・・云々言う人もいるが、そこらじゅうで景気のいい頃の音楽が聞けたり、ナポレオンジャケットや肩のところにシャラシャラのある服が買えるのはいいことだと思う。私はずっとずっとずっとずっとあの飾りのついた服が欲しかった。あまりに売っていないので作ろうかと思った。それが今は三千円とかで買えるのだから。いい時代になったものだ。

さて、私も未成年の頃より非常に興味深くマイケル・ジャクソンを見てきたので、例のやつに行ってきました。まあ、一か月ほど前のことなんだけれど。ブログを更新していないので黙っていましたが。

例のやつとはもちろん『THIS IS IT』のことです。あまりにいろいろな人に「観たほうがいい」と熱心に
勧められるのでとても気になっていた。


最終日に行ったせいでどこも満席で、三軒はしごして四十分しか観られなかったので、再上演が決まった今、もう一回観てきた。

前回は、踊りだしたり「ポウッ」とあの声を出したり、いちいち拍手や歓声があがったりで、ファンの人たちが何だかものすごくて、むしろそっちのほうが面白かった。もっと地味な観客揃いだったなら、DVDが準新作になるまで待ったことだろう。

彼ら見たさにもう一回映画館に足を運んだ私だが、今回はがっかりした。みんな地味。地味すぎる。

せめて拍手くらいはしろよ(私はしないけれど)、リズムくらいとれよ(私はじっとしているけれど)。せっかく映画館まで行ったのに!

コスプレをしてくる人がいたって面白かったのに。赤い革ジャンはなくてもティアドロップのサングラスや中折れ帽や黒いズボンや白い靴下くらいなら多くの人が持っているだろうが。マスクやパジャマだって。何なら軍手を片方だけにしたっていいじゃないか。みんな、もっと私の目を楽しませてくれ!

と、嘆きたくもなったが、映画自体は面白かった。前評判通り。五十代でも人ってああも踊れるもんなんだなぁ。あれだけうまけりゃ気持ちいいだろうなぁ。

初めてこの人のミュージックビデオ集を観た時の衝撃を思い出した。あれを買ったのは約八年前。たったの百円だった。今だったらもうちょっと高いんだろう。

『スリラー』は旧バージョンの映像ほうが好きだ。映画で観たものだと『屋根の上のバイオリン弾き』をどうしても思い出してしまい(あれもいい映画だ!楽しみながらあんなにユダヤ人を学べるものって、ほかにはちょっと考えつかない)森繁久や(変換できん)さんの顔がちらついて仕方なかった。あと、新バージョンはB級臭が少なめなのだ。芸術的すぎるというか。旧バージョンの悪趣味さが私の好みだ。

ところで、おとなしすぎると思った観客だが、帰り際にハンカチを目に当てているおばさんを発見したのですごく得した気分になった。それくらいはいなきゃあね。

彼女が友人にもらしていたのは「かわいそうに。孤独な人だったんだね」ということ。

いやいやいや・・・・・・孤独だかどうかは本人と面識のない私にはわからないが、かわいそうではないだろう。あのおばさんの言い方だと、それほど長生きではなかったからかわいそうってことではなく、孤独だったからかわいそうだったという意味合いだったように思う。

私はかわいそうだと思わない。だって借金があっても、結局のところ金持ちだったじゃないか!贅沢な暮しをしていたじゃないか。もっと金持ちの人だっていくらでもいるが、あのおばさんよりも私よりもう~んと金持ちだったことは間違いないだろう。著名人だからバルマンだとかいろいろな人から服やら何やら貰えるだろうし。

うらやましいとは思ってもかわいそうでは断じてない!

あのおばさんが何者かは知らないが、どうやっても才能に溢れた人には見えなかった。私がここまでぼろくそに言うこともないかもしれないが、あのおばさんのほうがよっぽどかわいそうだよ。


それはさておき、マイケル・ジャクソンの足元は靴下の見え加減などがフレッド・アステアを彷彿させる。

アステアの靴下についてはずっと気になってしかたなかった。あれのカラフルなことといったら!
いつも必ずと言っていいほどネクタイやらシャツやらポケットチーフやら帽子やらの色とコーディネートされており、しかもアステアは着ている衣装そのものがすごくお洒落で、結末の何となく予測できる映画のストーリーそのものより、次のシーンでは何色だろう?ということのほうが気になったりする。

母親とアステア映画を観ている時は衣装全体から靴下の色を賭けるのが定番だ。


とにかくこのマイケルブーム、もう少し続いてさまざまな関連商品で私を楽しませてほしい。

願わくば和製マイケル(と言えた時期もあった)田原俊彦さんの『教師びんびん物語』がレンタル商品として店頭に並ぶ日がやってきますように。

Friday, January 22, 2010

またまた以前書いたものを再投稿 バーコード

『誰がために鐘は鳴る』より。


それは、ドン・フェディリコ・ゴンザレスといって、製粉工場や食料品店を経営している第一級のファシストだった。
背の高い、やせた男で、はげをかくすために、髪の毛を頭のてっぺんに横から一本一本きれいになでつけ、寝巻きを着て、それをズボンの仲西くしこんでいた。
ここまで読んで、何かにお気づきになっただろうか?
ゴンザレスと同じ髪型の男性が、日本にも少し前までは大量にいただろう。

バーコードと呼ばれた男性達だ。

私はこの一節を読んで、激しく感動した。

1930年代のスペインにバーコードがいらしたとは!日本特有の髪型ではなかったのか!スペイン発なのか?それにしても、ゴンザレスの描写は私の読者史に輝かしく刻まれたのだった。

もしや、世界発のバーコード描写ではあるまいな?

さすがノーベル賞作家。先見の明がある。

最初にモヒカンにしたのは誰だ?最初に髪の毛をハサミで切ったのはヴィダルサスーンで初めてファンデーションを塗ったのはチャップリンという豆知識ならば私は持っているのだけれど。

それにしても、その2。

バーコードってさぁ、それなりに決まっている時ならいいが、のばしかけの時は、あの部分的に長い髪はどうしているのだろう。

頭の右なら右、左なら左半分しかかくれなくても、てっぺんでなでつけているのだろうか?

それとも、両サイドに残っている髪の中にさりげなくピンか何かでとめているのか?

バーコード経験のある方、周りにバーコード経験者のいる方、ぜひとも教えてください!

またまた以前書いたものを再投稿

「ありがとうございました。またぞーろお越しくださいませ」

と言われた。聞き間違いか、よく行っている店なので「よくあきもせずに来るよな」という意味をこめたイヤミか。わからん。


全然関係ないのだが、私不倫に敏感である。

不倫をしたことなど当たり前だが、ない。自分がしたいとも思わない。

しかし、他人の不倫を見るのは好きだ。不倫の雰囲気が好きなのだ。

ドラマでも歌でも、できれば普通の恋愛より不倫ものが好ましい。

これはリゾートホテルで働いたことのある友人の証言だが、その南端の某高級ホテルには、一目でそれとわかる不倫カップルが多いらしい。

なるほど。ホテルのフロント係は「家族、家族、カップル、一人、おっ、不倫だ!」などと客をひそかにより分け、楽しんでいるのかもしれない。レストランの従業員もそうかもな。

だとしたら、何て楽しそうな職業なのだろう。

私も道行く人達の職業やプライベートを想像するのが大好きだ。

たとえば、今前で電車を待っている男性。

製紙会社の課長。ここ三日以内に床屋に行っただろう。

年は44~46。妻はいくつか下で、結婚当初は専業主婦になったが、今は薬局のパートに出ている。夫の会社のティッシュや、トイレット・ペーバーが売れるとやはり気分がいい。

子供は高一の娘と中二の息子が各一人。

娘はボーイッシュでハンドボール部所属で短髪。息子はややおたくで、家中で一番パソコンに詳しい。

男に話を戻す。彼の趣味は登山。といっても年に数回。

車を買い換えたいので、節約中だ。

初めて100円のネクタイを買ってみたが、素材感が好きになれず、結局使わずじまいだ。

節約は晩酌を発泡酒メインにすることで手を打ったが、やはりビールのほうがいい。本数を減らそう。禁煙だけはできそうもないから……。


前の人、ごめんなさい。


不倫から知らないおっさんの話になってしまったので、不倫っぽい人についてももう少しふれておこう。

ご存知だろうか。世の中には「不倫顔」というのが存在する。しどけなくて、幸薄そうな。

昔の工藤静香さんはそれに近いが、どう考えても幸薄くはないので、私の言う事など当てにならないが、よかったら聞いていただきたい。

「不倫顔派手バージョン」の特徴。「顔」と言っても体型も含む。

まず、痩せていて華奢。少し元ヤンっぽい。大きくはないが、形のいいバスト。きれいな足。小さくはない顔。

髪はロングでダメージ強め。輪郭は細面。顔立ちはどちらかといえば薄いが、整っている。

目は奥二重で、目と目の間がやや狭い。眉、睫毛、どちらも薄い。肌は黄味がかっているが、黒くはない。
みずみずしさに欠ける。

そして、ここが重要!

顎がややしゃくれ気味。
この顎の条件を満たしていなければ、他がどんなに完璧でも「不倫顔派手バージョン」の称号を与えるわけにはいかぬ。

「不倫顔地味バージョン」については、長くなりそうなので、ここでは言及しない。

またまた以前書いたものを再投稿

私は極度の心配性だ。

これほどまでに頭の中を心配事や不安材料が占めている人間をなんて見たこともない。

目下の心配事は、いよいよ明日に迫った撮影会に人が集まって下さるか?というものなのだが……。

この心配性とは幼い頃からの付き合いだ。なので、それほどうとましく思っているわけでもない。

心配妄想は数え切れないほど存在するが、その中でも年代ごとに殿堂入りしたものもあり、それらは潜在的なものあるかのように私の脳内に住み着いてしまっている。

例えば小学校低学年の時、セーラームーンが流行った時期の心配妄想といえば、私のお母さんは一見お母さんに見えるが、実は他の何かに身体を乗っ取られているのではないだろうか?と不安でたまらなかった。

なるちゃんのママが妖魔にのり移られているエピソードが唯一『美少女戦士セーラームーン』という漫画を恐ろしいものだと思った。

だが、私は武内直子さんの世界で生きているわけでないって事くらいはいくらなんでもわかっていたので、お母さんを乗っ取っているものを妖魔だとは思っていなかった。

もう少し年配の人なら異星人だと考えたかもしれないが、私の場合は何物かがどんな訳があってなのかはわからないけれど、お母さんのそっくりさんを用意して取り替えているのかもしれない……そんな風に考えていた。

何故かお父さんについては取り替えられ疑惑を感じなかった。

多分お母さんのほうが女性特有の苛々時期があるせいで、その日によって性格が微妙に違っていたからだと思う。

彼女がおそらく生理中の時――つまり取り替えられ疑惑の時はなるべくいい子でいるよう心がけていた。

小学校も高学年になると、月経の存在を知り、お母さん偽者疑惑は薄らいでいった。

それに取って代わった心配事は、もしも学校から帰って家が燃えていたらどうしよう……というものだった。

特に朝方学校に行く前、親と喧嘩した日なんかは心配で心配で職員室まで電話を借りに行こうと何度も思った。

これまた、漫画『漂流教室』の影響だった。

中学いっぱいこの心配事は続いた。

もう少し大きくなると同じ親や家の心配は「あの人達、あと半世紀は生きられないんだ」と、より陰鬱な心配事の支配下に置かれるようになった。

むろん、ものごころついてからずっ続いている心配事もある。

眠りに落ちてそのまま死んでしまったら……。

これは本当に怖い。

だいたい、入眠の瞬間って毎日の生活の中で最も恐ろしいものではないか。

夢を見てしまえば意識がある事も多いが、それ以外の時は全く意識がない。

さっきも美容院で5分ほど眠ったが時間をワープしたかと思いぞっとした。

だが、世の中の、それも大半の人達は「眠りに入るうとうとした状態が何より気持ちいい」と話す。

私には解せない。

それほど心配性じゃないって事なのかなぁ?

山谷天国





マックから初の投稿を試みているのだが、けっこう難しいものだ。画面がものすごくきれいだから目への負担はいくらか軽減されるけれども。一枚目にまちがって変な顔をした画像を添付してしまった。まあいいや。嫌だけれどさ。


けっこう前のことになるが、ついに私は山谷デビューをした。

そのうえ、ただデビューしただけではなくすでに二度行ったリピーターだ。

最初は泥棒市メインだった。朝の五時半くらいに起き、がら空きの車両に揺られ(私と友人があまりにも小汚い格好で行ったせいで周囲にえんがちょされてしまいがら空きになったのだけれど)暑苦しいくらいの意気込みで夢見ていた山谷に向かった。
南千住だなんて行くのが面倒なので浅草からタクシーを拾ったのだが、見事に乗車拒否もされた。小汚いからな。

どのあたりかいまいちはっきりしなかったので、とりあえずは「マンモス交番まで」と告げた。交番で泥棒市の場所を聞こうって体で。

おまわりさんも「あんまりおすすめしないよ」と言っていたし、行ってみるまではどきどきだった。泥棒の巣窟に行って何も盗られないで帰ってくるほうが難しいのではないだろうか。私のサングラスやら電子辞書やら財布やらが泥棒市で売られてしまう!それだけは避けたい。ちょっと面白いけれど避けたい!

だが、着いてみると想像とはまったく違う明るい雰囲気だ。ごく普通のフリーマーケット会場のような。

しかし売られているものは普通のフリーマーケットとはだいぶ違う。画像をよーく見てほしい。縦笛。使用済みと思われるピンクローター。

そんなもの誰が買うというのさ!

結局私は骨模様の手袋と、まだきれいなソニーのMDウォークマンを合計¥1,500で買った。ウォークマンの中には謎のMDが入っていた。素人のデモテープだったらものすごく面白いのに、と期待しながら聴いたのに、ブルーハーツっぽいバンドのアルバムだったので拍子抜けした。

友人はクレアーズの新品ネックレスを¥200で買っていた。クレアーズの商品はなぜか箱ごとあった。どうやって仕入れてきたのか気になる。万引きに入ったとしても、あの店であのおじさんは目立ちすぎる。

泥棒市を満喫した後は、朝っぱらから人でにぎわう寿司屋で朝食をとった。

寿司屋と言っても席はなく、ちょうどたいやき屋のようなむき出しの調理場があり、空箱と簡易椅子を使って食べるしくみだ。おしぼりはべちょべちょ、汚いどころではない店構え。しかし手入れは行き届いており、臭くもなく、こぎれいと言ってよい。感じのいい親方とおかみさんが仲むつまじく出迎えてくれる。

握り一つが¥60くらいで、ウニ、トロ、イクラなどを2人で腹一杯食べても¥1,600くらいだった。物価の安い国に迷い込んだみたいだ。

握りの腕は一流店とは違うが、ネタのレベルは回転寿司や出前などは及びもつかないハイレベル。そして大きいこと!

ネタと酸飯がたくみに解け合う一体感はないが、ちょっとかための酸飯はネタと同じくヴォリュームたっぷりで、その味はずっしりと情深く、他では味わえない、いい意味での癖がある。

これを味わうためだけに山谷に行ってみるのもいい。

他のお客とのふれあいもこの寿司屋の魅力だ。見知らぬ労働者と話すことができた。彼は50代後半くらいで、結婚していたこともあり、年頃の出来のいい息子がいると自慢げに話した。日雇いの仕事でお金が入ってもギャンブルでスッてしまうらしい。今はお金がないが、今度まとまった給料が入ったらおごってやるよ、と彼は豪語した。
そのうえ、友人は毛玉だらけのスウェットを見て「もっといい服着なさい」と駄目だしまでされていた。


その後は古着屋に入りネルシャツを二枚買って、大満足で山谷を後にした。


それが一回目の山谷だ。

二回目は穏やかなものではなかった。甘くみて前回より普通の格好で行ったのがよくなかったのかもしれないし、正月という日雇いの仕事がない時期に行ったのがよくなかったのかもしれないし、真冬の強烈な寒さのせいかもしれない。よくわからないけれど、その日の山谷は死人の街だった。

人手はずっと少なく、その中の誰もが無気力で、ゾンビのようなさだまらない足取りで歩いている。夢も希望もありゃしない。L・Aでも似た場所があった。夜のダウンタウンだ。

以前来た時、山谷の住人は温かかった。その日暮らしを楽しんでいるように見えた。目標は来月でも来年でもなく、数秒後口に含む酒である、そんな彼らを見ていると、くよくよ未来のことを心配している自分がくだらなく思えてきた。今を明るく楽しく生きようと思えてきたのだ。
しかし今回の山谷の住人は生気がないか卑屈か世の中に恨みを抱いていそうか、そのいずれかで、全体的に、俗に負のオーラと呼ばれているものが漂っていた。

パチンコあたりやにも入ってみた。ここは正月早々混雑していた。ギャンブルをしている人のぎらついた空気はそこになく、みんな機械仕掛けの人形みたいにただ手首をひねっていた。

寿司屋もやっていなかった。ドヤはどこも満員で、中に入ることはできなかった。

こんなはずじゃなかった。

あげくの果てに、明らかに様子のおかしい人にどこまでも後をつけられた。すりにしてはあからさますぎるし、変質者にしては精力がなさそうだ。

思えば、消極的な物乞いだったのかもしれない。もしくは私たちが財布を出すのを狙っていたひったくりだったのかもしれない。部外者を追い払おうとしただけにも思えるが、真相はわからない。

二度目の山谷は気の重くなる結果となった。


そういえばドヤ街の真ん中にコンビニというかスーパーというか、小さい店があるのだが、そこの品揃えはちょっと面白い。

安酒の種類が酒屋みたいに豊富で、女性誌は一冊もない。

一番びっくりしたのが、石けん、シャンプーはあるのにリンスはないことだ。

そりゃあまあ、使わなそうさけれどさあ。


もう少し暖かくなったらまた行ってみよう。安宿目当ての外国人で賑わうと噂のコミケの時期が面白そうだ。

Thursday, January 21, 2010

外套

「我々五名の見解では、犯人を一応宇宙人と考えて、その線で捜査をしてみたらどうかということになった」

という台詞が『ウルトラセブン』を観ていたら聞こえてきた。

笑いのつぼに入ってしまった。この可笑しさは言葉では説明できない。

「一応宇宙人」だよ。「一応」だよ。
まあ、間違っちゃいないんだろうけど、何だか凄いよな~。
こういうの、いいよな。

それはさておいて、ゴーゴリの『外套』を今さら読んでみた。ゴーゴリって『コジコジ』に出てきそうな名前だ。

このお話が漫画だったら、それも好美のぼる先生の作品だったらなぁ。ああ!

頭の中で漫画版『外套』を絵柄から主人公(むろん少女という設定で)の髪型から外套のデザインまで事細かに想像して、心底読みたくて、非常に貧乏な同人誌作成が趣味のひとにギャラを払ってでも描いてほしいくらいだ。

主人公は中学生でセミロング。頭も顔もよくないさえない少女。少女がぼろぼろのコートを自分で買おうとするのも変だから、ぼろい靴か何かにしておいて、家が貧しいうえに親が厳しいことにしておいて(新しい靴を欲しがっても、まだ履けるじゃないの!と叱られるのだ)、商店街のおべっか使いのおやじの洋品店で見た靴がどうしても欲しくなることにしよう。

少女は子守りや使い走りをし、倹約に倹約を重ねて(つまり、お小遣いや、共働きの両親がくれた食費を貯金したりしてひもじい思いをしながらも)やっと欲しかった靴を手に入れるわけだ。
『外套』と同じ筋書きだ。

私はあの話のちょうどそのあたりが大好きである。オーダーメイドの外套のため、笑っちゃうような節約をする主人公アカ―キイだが、やがてそれにも慣れてきて、やがて届く新しい外套を思うと、彼はまるで結婚でもしたかのように生き生きとし、どんな襟にしようか考えると放心状態になることもあった。
わかる、わかるよこの気持ち。

私も去年、リック・オウエンスのジャケットを買った時がそうだった。
貧乏学生のような倹約生活も、ジャケットを思うと苦でも何でもなかった。やっと手に入れたその冬の伴侶は、暖かく、着心地が最高によかった。
私もアカ―キイのように遠回りしたものだ。
……追い剥ぎには遭わなかったけれど。

ここからいわゆるネタばれがあります。

せっかくの外套をアカ―キイはあっさり盗まれてしまい、警察にも、あほうのお偉いさんにもとり合ってもらえず、ショックのあまり寒さも感じなかった彼は扁桃腺の腫れからくる高熱でぽっくり死んでしまうのだ。

え?こうなる?って展開だ。こういっちゃなんだが、三文お涙頂戴漫画のようである。

そこで話は終わらない。

身分不相応な買い物の素晴らしさと愚かさを描いた作品かと思いきや、ストーリーはいきなり怪談話へと方向転換する。

ますます好美のぼる先生っぽい。

裸足の追い剥ぎ少女。目にうかぶようだ。

いい靴を履いていると、目つぶしされ、靴を盗られる。ライバルの意地悪少女も懲らしめられ……てな具合に物語は完結を迎える。

いいじゃん。怪奇漫画らしいよ。

しかし活字本としては、ファッション小説(?)である前半のほうが私は好みだ。

ミンクのコートが欲しくなるう!!

団地

突然だが、団地が好きだ。そそられる。

都会の真ん中やお洒落な街で見掛ける団地は格別素晴らしい。

同じつくりのものがいっぱい並んでいるのが好きという理由の他に、幼少の頃よりなんというか憧れがある。

あの小宇宙な感じ!どう考えても素敵でしょう!!

あらゆる施設がととのっているのがいい。図書館やら24時間営業では全然ないコンビニエンス・ストアやら、公園やら、薬局やら、食堂やら、謎の会社や事務所やら、本屋やら、病院(内科、皮膚科、耳鼻科、接骨院)やら、節操なくそろっている。過去にはマッサージ店のある団地まで見たことがある。
それも、どこもかしこも小ぢんまりとしているのだから、ミニチュアハウスを見ると無性にわくわくしてしまう私にはたまらない。

家の中になんでもある生活に異常なまでに魅力を感じる私だが、お嬢様ライフは送ったことがないので、自宅の敷地内で車に乗れるような生活は妄想の中でなら全っ然アリ!だが、実現となると非常に難しいのでリアルな想像がしにくい。

その点団地にはリアリティがる。悲しいことに。

住んだことはないが、一か月くらい住んでみたい。
ご近所付き合いや同じ団地内の幼馴染も期間限定なら味わってみたい。

エレベーターがないところもいい。自転車を建物の中に入れるのもいい。玄関前に自転車だとか、スケートボードだとか、ビニール傘だとか、自転車の空気入れのある家に住んでみたい。
今の家でやっても悪くはないが、家族がいて、できれば祖父か祖母が一緒に住んでいる家でやりたいのだ。

時が夏休みで、玄関を開けるとかすかに塩素や水泳バッグのビニールの匂いがすると最高だ。冷蔵庫では飽き足らず、たんすにシールが貼ってあれば――それも、剥がれかけていたら――100点満点をあげたい。

ペットは二種類いるべきだ。鳥、ハムスター、名前は忘れてしまったが、でっかい、ふさふさしたハムスターのような一時期小規模に流行った生き物、金魚(縁日のもの)、カブトムシ、クワガタ、蚕のうちのどれかが。

お母さんは週に二回だけパートに出ていてほしい。けっこう美人であってほしい。
弟か妹が七五三の歳であってほしい。
お父さんはあまり積極的にあらわれないでほしい。
お兄ちゃんはわりと秀才であってほしい。童貞であってほしい。

そして私は小六の女子であってほしい。手芸部か吹奏楽部であってほしい。
学芸会では目立つ役を演じる子であってほしい。

髪質は硬く、太く、黒々とし、毛先が少しだけ癖っ毛であってほしい。
肌が厚く、もっちりとし、血色よくあってほしい。
クラスでは学級委員で、それも書記であってほしい。
19でバブルがきてほしい。

団地を見ていると、もう一つの人生のことを考えずにはいられない。

和洋折衷

和洋折衷映画ってのが私は大好物である。

世界観が奇妙というか勘違い炸裂というか、そっちのほうが観ていてぞくぞくする。

最近借りてきたのは『ラーメン・ガール』とかいう映画で、西田敏行さんのハリウッドデビュー作(!)らしい。
あれは大役だよ。

ひとつひとつの材料はたいしたことないんだけれど、それらが合わさると、なんとまあ独特なんだろうか。まさにラーメン!!!

日本在住のそれほどダサくはない女の子が、失恋した日に偶然食べたラーメン、それからラーメン屋の人々のあたたかさにすっかり心を奪われて、「いつか自分のラーメンが作りたい」と決意し、厳しい修行をつみ、精進してゆく話だ。
簡単に言うと。

しかし、そんな簡単にこの作品の魅力は語れない。秀作ですよ、こいつは。

まずは青春ドラマかリアリティ番組でブレイクしたお騒がせセレブ主演のB級コメディ的な、親しみやすいファッショナブルさににやにやし、そいうった作品につきもののハンチングをかぶった小太りのゲイの友人に安心しつつ、スポ根漫画的な根性、人情に歯がゆさを覚え……。

ものすごく満足した。観てよかった。

しかし、西田敏行さん演じる師匠、つまりラーメン屋のおやじの頑固さがたまらなく鼻についた。
なんでわざわざどなる?

私も人当たりのいいほうではないから、ああいった登場人物を見ているとたまらなく自分が嫌になる。
口調というが声色というかが、いちいち怒っているような人間っているよな。こちらが金をはらってその

人と接している場合、なおさら頭にくる。
店員、タクシーの運転手、いろいろいるよな。

同じ映画の登場人物だったら『ブレードランナー』に出てくる食堂のおやじがそうだ。
何だか忘れてしまったが、食べ物をいくつか注文して「一つ(あるいは二つ)で十分ですよ!」となぜだか彼は怒る。

あの言い方があまりにも実在しそうで、私は別にハリソン・フォードとは何の面識もないのに、心から「こいつうううう」とはらわたが煮えくり返りそうになる。

あの作品について語る人はとてもとても多いが、あのおやじについては誰も語らない。

なぜだろう?

漢字は疲れる

いつも不思議に思うんだけど、どうして駅の本屋ってああも品揃えが悪いのだろう?

私はそれほどめずらしい好みをしているわけではないのに、いつもいつだって絶対に好みの本が見つからない。なにも活字に限ったことではない。漫画も、雑誌もだ。

あるジャンルといったら週刊誌、新聞、スポーツ新聞、ライトなエロ本(これが意外と豊富なのだ)、競馬新聞(売っているところを見たのはそういえば初めてだ)、占い、ノウハウ本、生き方本、くせのない推理小説、さわやかな青春小説、恋愛小説、文庫漫画、ガイドブック(これは当たり前にとても多い)こんなところだ。

成田空港の本屋は恋愛マニュアル本が目立って多い。私に最も縁のない本だ(ごくたまにむずがゆくな
りながらめくるのは面白いけれどさ)。

小説の文庫本はどこでもまあまあ売ってはいるが、カタカナの作家がほとんど置いていない。

これも不思議なことだ。

移動中に読むのなら、読んでそのまま置いてこられるような軽いものがいい、できれば新幹線が目的地に着く間限定の、1.5~2.5時間くらいで読み終わるものがベストだ。

このためには目にやさしい本であることが絶対条件。

目にやさしい本とはつまり、漢字の少ない本のことだ。薔薇だとか蕎麦だとか鮒だとか痙攣だとか檸檬だとか、書けと言われたら困ってしまうが、なぜか多くの人が読める漢字であっても、紙の上にならんでいると「ちっ」と思ってしまう。

ごちゃごちゃしたものを見ると目が疲れるからだ。

考えてもみてほしい。ありふれた白い壁の部屋と、幾何学模様の壁の部屋、どっちにいるほうが疲れるだろうか?

本だって同じである。余白が多いほうが目には楽だから、その分脳も疲れず、集中力を持続させること
ができる。

それなのに……話を戻そう……気楽に読みたい長距離移動中の読書。

絶対に日本人作家のほうが統計的に多く漢字を使うのだ。何せ名前が漢字なのだから。地名だって食べ物の名前だってそうだ。日本人作家が書いたもののほうがどうしてもページが黒っぽくなる。同様の理由で私には日本史よりも世界史のほうが数段わかりやすかった。日本むかし話よりもイソップやアンデルセンの童話を好んだのも、だからなんだなぁ。

「津嶋は眞鍋を誘って立ち食い蕎麦屋に入った。」よりも「アリスはシンディを誘ってコーヒーショップに入った。」のほうが絶対に絶対に目にはやさしい。

何ならもう一例。

「彼は滋賀県から来た。」

「彼はデンヴァーから来た。」

ほら、ね。

デンヴァーなんてどんなところかわからない。想像もつかない。そんなんじゃ頭が疲れる。漢字が多いなんて問題にならないくらい。滋賀県のほうがいい。

こう思う方がすごくたくさんいらっしゃると思うから私の意見で反論しよう。

悪いけれど滋賀県のことだって私はデンヴァーと同じくらいわかっちゃいない。だったら見た目があっさりしているほうがいいね。

私と同意見の人が増えれば駅や空港の本屋はもっと充実するに違いない

痛みについて

整体で「痛みに強いですね」と言われた。
う~ん、どうだろうなぁ?
痛みの種類にもよるな。

注射とか圧迫の痛みは平気だが、粘膜と神経の痛みにはすこぶる弱いと思うけれど。
そこの整体は普通よりだいぶ痛いらしく、時折横から絶叫の声が聞こえたりする。
「ぎゃー!」とか「いたいいたいいたい!」とか「おおおーと!」 とか。
あんた出産してる?って思うほどの人もいる。

つくづく不思議だ。

叫んだからといって痛みが軽減されるわけではあるまい。
それにおそらく叫ぶ人達はそれほど痛がっていないように思える。
私は骨折を放ったまま一夜を過ごした事があるが、とても大声を出す気力なんてなかった。せいぜい「つー」と細い息をするくらいだった。

痛みに限らず、私は何事も大袈裟に反応するって、どうも性に合わない。

ホラー映画で叫ぶ奴、しょうもない番組で笑う奴、くすぐられて騒ぐ奴、クラブなどて踊りながら「フー!」とか言う奴。

機嫌の悪い時にこういう奴らに遭遇すると、電気ショックでも与えてやりたくなる。

テレビや映画で泣く人に関しては苛立ちは覚えないが、奇妙な生き物を見ているような気分にさせられる。感動して泣くという感覚が私にはわからないのだ。

そりゃあ、感動しないわけではない。
ただ私の感動は限りなく感心に近い。「すげぇ」と目を見張るばかりなのだ。

痛みの話に戻るが、いくら痛くっても大袈裟に痛がってみせるのは、痛がらせてくる相手(ほぼ医者)がいる場合、その人の思うつぼみたいで悔しいではないか。

私自身が人のつぼを押したりして、痛がられるとたまらなく愉快になり「そうだ、もっと喚け……」と思うタイプなので。

バイイ~

とりあえず『ビバリーヒルズ高校白書』が面白い。

なんで今さら?と人には聞かれるけれど、流行がとっくに終わってしまったものは私にとって流行真っ最中のものとは比べ物にならない魅力を持っているのだから仕方がない。

このブログにも書いた『抱きしめたい』をはじめとしたトレンディドラマのマイブームはこんなふうに変化したのだ。海外青春ドラマへと。

ふつう、外国の映像を観るときは吹き替えで観るくらいなら、もしも語学力があるなら辞書片手に観たほうがましだ、って考えだったのに、今度ばかりは違う。不思議なことに。

声優さんのテンションがやたらと高いしな。そういえばお笑いの人が真似していたって噂もきいたことがある。
それくらい特徴的なんだろう。
「バイイ―」ってのがいいな。私としては。

そりゃあ、たまには切り替えるのを忘れて字幕バージョンにしてしまうことだってある(そういやあ字幕スーパーって何!?)。が、そうやってみて気がついたことなのだけれど、字幕だと画面の関係上、吹き替えよりも短くおさめないといけないから、本当に言葉が限られてしまうのだ。

ドライヤーで髪を乾かしている時は、吹き替えのうえに字幕まで表示させるのだが、いつだって字幕のほうがうんと短い。

同じようなことは言っているのだが、テンポのよさだとか、うつってしまいそうなひねくれた言い回しの面白さだとかがいまいち味わえず損だ。

しかしまあ、どうやったってあの口調はうつってしまうんだよな。
ほら、この~なってのもそう。そうなんだな、とか、だめだな、とか、わかるな、とか口に出しては言わなかったもんな。な、な、な。

ふつうに話していてもついつい吹き替え口調になってしまい、わざわざ「今吹き替え口調になっていたね、私」などとも言えず(言ったってどうせわかってもらえないし、説明するのも大変だし)、自分が恥ずかしくなる。

以前はこんな受け答えしなかった。

友人「さっき食べたの辛かったね」

私「まあね。でも、少なくともお尻は無事だった」

ほらね。
これは辛いものをたべすぎると、汚い話だが排出する時に肛門がひりひりするけれど、さっき食べたものは辛いには辛かったが、肛門に異常はなかったので、許容範囲の辛さだった、という意味なのだが、こうやっていちいち説明しないといけない、遠回しなものの言い方を多様してしまうのだ。

これまでだって文章のうえではどちらかといえば遠回しだったかもしれないが、しゃべりはごくごく普通だったのに。

「少なくとも」もここ最近やたらと言ってしまう。

オーケイ、って言わないだけましだと思いたい。

言いそうにはなるけどな。ケリー口調で。

そうだ、「~な」をよく使うのはケリーだよ。ブレンダではなく。

そうそう。やっとシーズン3に突入したんだよ。返却期日がせまっているからそろそろテレビをつけようじゃないか。

それでは、バイイ~♪

抱きしめたい

利口な人の買い物とはどう考えても言えないけれど、どうしてもどうしても『抱きしめたい』のDVDBOXが欲しくて、先日ついに購入してしまった。

¥31,500だったけな。
とんでもない値段である。

ふざけているだろう、と思ってしまってもいたしかたない値段である。
アマゾンの口コミを見ながら、「いいんだもんね。仲間が少なくとも11人はいるんだもんね」と自分を慰めている私だ。

いいんだもんね。面白かったからいいんだもんね。

『抱きしめたい』といえば、言うまでもない元祖トレンディドラマ。
1988年!バブル!なんていい時代!
調子に乗っているんじゃないか?国民よ、ええっ?
そんな感じの人々もいいし、だだっ広いマンションもいいし、濃すぎる出演者も、今の世の中ならそのへんに売っていそうな洋服も、音楽もみんないい。

ストーリーそのものはどうってことないといっていいのだけれど。

きっとあの時代にノスタルジーを感じる人と、あの時代に興味がある人でないと面白さがわからないドラマなのだろうなぁと思う。

当時の――かなり脚色した――世界観にどっぷり浸かりながら、ほとんど味わえなかった80年代、バブル景気に思いを馳せる昨日今日である。

しかし、このドラマ、ものすごく謎が多い。
しょっぱなから元木雅弘さん演じる純ちゃんのナレーションが、主人公麻子の暮らすマンションの家賃は25万円だと告げる。

「ちょっと無理しても職業柄これくらいの見栄は張りたい」らしいが、スタイリスト9年の女性って平均してどれほど給料をもらっているのだろうか?

麻子の撮影現場は無名(に見える)外国人モデルや子どもらばっかりだし、そこまでの高給取りだとは思えないのだが……。

だいたい純ちゃんの職業だってわからない。スタイリストアシスタントらしいが、メイクも直しているのはどうして?いつもいつも鼻のテカりを押さえる役目なんだよな、彼は。

麻子と夏子がどうやって圭介と知り合ったのかだって最後まで謎のままだ。

まだまだ謎は多い。

修治は見たところものすんごく視力が悪そうだが、時々眼鏡を外している。コンタクトなのか?まあまあ見えているのか?

ミッキーさんを粗末(?)に扱うシーンが数多く見受けられるのも不思議だ。

投げつけられたり、可愛くないと言われたり、これからセックスしようとする男女のそばに置かれ、彼らが事に及んだと視聴者に教えるために、ミッキーさんのガールフレンドがミッキーさんに覆いかぶさるシーンなんて、放送禁止じゃないのか?
スポンサーだっけ?

そういやあ、聞いた話によると、どこにあるかまではわからないが、とあるSMクラブにミッキーさんだらけの部屋があるそうな。

ベッドカバーからクッションからぬいぐるみからカーテンなで、みーんなミッキーさんで、つまりは無数のミッキーさんに見つめられながら、さまざまな珍しい行為を行う……ってことだよな。

私はこの話を聞いて感動した。究極ではないか。

その部屋を提案した人は100年に1人の天才だ。

恐ろしくなってきた。ミッキーさんの話題はもうやめよう。まだまだ元気に平和に暮らしたいもの。

『抱きしめたい』では夏子がミッキーさんを大好きってことになっているのだが……。
そういえば当時は麻子と夏子どっち派だ、なんて意見を出し合ったらしいが、私の予想だと麻子人気が高かったのではないかと思われる。
夏子は嫌われてさえいたのではないかと思われる。

しかしまあ、それは女性に限ったことで、男性票は圧倒的に夏子だったような気もするが、トレンディドラマファンの大半は女性だと思うので、そういうことなら麻子のほうが人気があったのだろう、な、きっと。

私もどちらかといえば麻子派である。
夏子はそもそも根性が悪い。が、それだけが理由ではない。
麻子は毎回違うヘアアレンジをしていて非常に参考になるのだ。
どれも今風に転ばすことができて、これが重要なのだが、前髪のない私にもできるアレンジがてんこ盛りというのは、本当に貴重なんで。
3パターンくらい我が物にしたもんね。

来ている洋服も麻子のほうが洒落ているんだよ。
が、第一話で夏子がしている上下グレーで、少しルーズなコーディネートは本気でいいな、と思った。

が、男性の着ている服は、現代にアレンジしようがなく、あんな人が今いたら激しいオタクややくざ屋さんにしか見えない。

あの人たちって今も昔もあんまり変わらない、普遍的なファッションを貫いていてえらいな、と思う。

ドヤ街に行きたい

早いところ今いる状況から抜け出したいが、ちょっとした逃避くらいしかできない。

そういうのがないととても生きてなんていけないもの。バリ旅行が終わってしまったのが心底悲しい。できれば毎月旅行をしていたい。

最近になってほんとうに不思議に思うのだが、なんでもっと時間に余裕があったときに一人旅でもなんでももっと旅行をしておかなかったんだろうと思う。

新しいことをもっとうんと知りたいのに、くう~だらないことの繰り返しだもの。

まあとにかく、やってられないのでちょっくらお金も時間もかからない逃避行に近々繰り出すつもりだ。

場所はというと、ずっとずっと行きたかった山谷だ。山谷ルミ子(マイナーな漫画家)の山谷だ。こうやって文字にするだけでもわくわくしてくるね。

できれば夜おそくにに家を出て、安宿に泊ってから早朝の「泥棒市」を満喫したいのだが、まだあまりにもビギナーすぎて不安が残るため、早朝家を出て、泥棒市→ドヤ街探索→居酒屋→できればスナックの順に山谷ツアーを決行したいと思っている。

一番の目玉はなんといっても泥棒市だ。名前からしてすごい。私はかねてから「泥棒」という言葉が大好きなのだ。由来はなんだろう?とか考えるだけで10分は過ごせる。

どんなものが売っているのか?
調べてみたところ、骨董品、裏ビデオ、電化製品、食料品などがメインとのことだ。

食料品は4カ月も前に賞味期限の切れたたくあん、だとか、コンビニのゴミ箱から仕入れてきたものだとか、夢いっぱいの品物達だ。すごいよこれは。

値切る楽しみもあるけれど、馬鹿高い値段で買うのも悪くない。
たとえば二千円でくだらない家電を買ったとしよう。きっとその金は飲み代に消えるのだろう。
噂どおり山谷の住人達があまり働いていないというのなら、二千円はそこそこな金額だ。私にとってもそこそこな金額なのだから。

それのほとんどをきっと飲酒につかってしまうのだ。それも大して美味しくもない酒に!

ああ、理解不能!まったくもってわかりません!

酔っ払いたいのなら、息を止めるとか首を軽く絞めるとかすれば同じようにぼーっとなるのではない
か?健康的ではないが、シンナーのほうが安くないか?

だって酒って高いじゃない。¥250とかするじゃない。それを一日何本も飲むということは……ちょっとおそろしい出費だ。

酒の良さがわからない。とりわけビールがわからない。

多くの漫画やドラマで仕事が終わってさあ一杯!っかあああ~っ、うまいっ!というシーンが出てきて、登場人物は尋常でないくらい美味しそうに飲んでいるが、子どもの頃は当然として、成人して実際に飲んでみても一切うまさがわからなかったのだが。

変わった味じゃないですか?もしあれがジュースだったら飲みたいか?そりゃあ私だってレッドブルがノンカフェインだったらそれほど飲みたくないけれどなぁ。

私と同じく飲酒をしないうちの母親も夏場の風呂上がりのビールだけは特別、と言うけれど、娘の私にはわかりません。

カフェインのほうがいいじゃん、と思ってしまう。

しかし世の中にとても酒飲みが多いことを考えると、みんなしゃきっとするよりぽわーんとしたいのだろうな。

やはり不思議だ。解せないよ、まったく。

ゲームセンターあらし

ついに、ついに、ついに!『ゲームセンターあらし』を全巻買ってしまった。

七千円以上したけれどちっとも後悔なんかはしていない。
だってだって面白いんだもん。

赤白のスタジアム・ジャンパーやブーツカットのデニム、意味をなさないほどつばの長い帽子が欲しくなった。

スポ根並みの特訓、親指に血のにじむ死闘、ゲーム戦士にかかった地球の運命、飛び散る汗、よくでてくる百円、小便、ムーンサルトや炎のコマなどの必殺技、何て夢にあふれているのだろう。

コロコロコミックっていい。私の心にはずんずん響くものがある。それなのに他人はあまりわかってくれない。

漫画好きでもわかってくれない、というよりも漫画好き――それも漫画を実は高尚なものと言ったり、そこに深い意味を求める人種は――はなおさらわかってくれないのだ。そういう人たちは私とは違う漫画の楽しみ方をしているのだから仕方ないといえば仕方ないのだが、やっぱり多少は悲しいし残念だ。できれば万人受けしてほしいから。

私がどのように漫画を楽しんでいるかというと、「はっは、くーだらない」と言いたくなる数々の場面を愛しみ、それはそれは楽しんでいるのだ。

異常なテンション、ありえない展開、やぼったさ、暑苦しさ、ご都合主義、理想主義、偽善、説教くささ、そして何より好物のいんちき臭さ!ぞくぞくする。

偉大なるクソガキ文化よ!『ゲームセンターあらし』の面白さがわからない人たちはクソガキだった過去がないのだろうか?だとしたらどんな子どもだったのだ?

そんな私はどの程度クソガキだっただろう?わりとライトなクソガキだったように思う。

何せ私は老けていたから。極端に老け顔だったり長男長女だったり大人の中で育った子どもに多くみられることらしいが、彼らは自分の中の幼児性を否定し、大人のように振舞おうとする。しかし、幼児性というものは消化しきらない限りいつまでたっても中途半端にくすぶってしまうものだ。しかるべき年齢でしかるべき成長ができなかった彼らには反抗期もない場合が多い。ちょうど私のように。

そういう人間にはいつの日にか反動が訪れるのだ。最適とは言いがたい時期に。深夜のドンキホーテでうんち香水を買う、一万円近く払って『ゲームセンターあらし』を買う、そういう風に。

本物のクソガキと違い、多少金銭的に自由な年齢だからそれこそ見境がない。ここ数年よく「大人買い」という言葉を聞くけれど、これは塾通いや氾濫した大人文化のせいでクソガキ時代を消化しきれなかったあわれな人間たちのささやかな反動ともとれる。

正常に、というよりも健全に生きてきた人たちには『ゲームセンターあらし』はくだらないものでしかないのかもしれないが、私にとっては聖域でさえあるのだ。

ガキである、それはつまり未来が、可能性がうんとたっぷりあるということだ。それ以上素敵なことって他にあるだろうか?こんなことを考えるなんて、私も歳をとってしまったようだ。

素人ものの良さ

アダルトビデオは素人物に限る――そう力説する方はものすごく多い。

それも一理あるなとは思いながらも、私は100%賛同してはいない。が、ファッションや化粧品に関して言えば、参考にするのは素人物ばかりだし、記事になっていてたまらなくうきうきしてしまうのも、いつも決まって素人物だ。

だってそうだろう。頭のてっぺんからつま先、指先にいたるまでぎちぎちにきめて、送風機を浴びながらポーズを取るモデルが着用する、街中で来たら「うわっ、ケバイ!」になってしまいそうな洋服達をどのように参考にすればいいというのだ。

時々販売員さんなどでファッション雑誌から抜け出てきました!みたいな方がいらっしゃるが、あれはいただけたものじゃない。一点たりとも流行以外の物を身につけていない服装は、見ていて痛々しい。月並みな言い方をすれば「洋服に着られている」といった感じになっているのだと思う。

流行と定番の割合は7:3もしくは6:4くらいが望ましい。よくオリジナリティのある人間が洒落者という。もしそれが真実なら、流行からオリジナリティを感じさせるのはどちらかといえば困難だから、洒落者に見せたいのなら流行意外に力を入れるべきであろう。

以前から主張していることだが、流行は嫌でも取り入れざるを得ないものなのだ。たった今店頭に並ぶ、古着以外の服を買っている限りは。そんなわけで、トレンドまみれの紙面よりも素人の着こなしのほうがずっと実用的かつ、洗練されていたりするものだ。

素人と言っても、いわゆる本格的な素人ではいけない。業界素人、それもできれば外国人が好ましい。アダルトビデオでいうなら、洋モノ、素人モノを好む人のように。

なぜかというと私は華奢で可愛らしいタイプではないし、身長やくどい顔立ちなどからしても国産もので固められた格好は似合わないからだ。

似合わない格好は「うわっ、ケバイ!」よりたちが悪い。したがって私が新しい服がほしくなったりして、誰かの恰好から助言を借りようとチェックするのは、見知らぬ外国人のブログである。

お気に入りに登録しているものなら30近くあるが、中でもfshion toastと、Style Scrapbookというブログは一日に二回は見てしまう。fashion toastのほうは書いている方が半分日本人のようなので、女性の方にはお勧めだ。お二人とも着まわしがうまいし、意外な物を組み合わせるセンスもある。なおかつ奇抜さは最小限で、そのあたりをうろうろできる恰好が多いこともあり、私でもとても気に入ったのだろう。写真も見応えあるし。

ファッションだけではブログそのもののあり方としても参考になる部分が多い。そうなのだ。私も写真にもっとこだわる必要があるのだ。

私のブログって味気ない写真ばかりだもの。私も世間では素人なのだから、素人のブログならではの面白さをもう少し出せるようになりたい。そもそもブログやエッセイの面白さは素人くささなのだ。普段素人でない人が素人になるのを見たくて、人々はそれを目をとおすのだろう。少なくとも私はそうなのだから。

今になって

急にエキサイト翻訳の面白さを知った。

奇妙な斬新な感激するような文章を見つけることができます。ブログは素人が刺激を求めるのに良いのであって、私は外国人であるあなたに夢中になるのです。面白い写真もブログには大切です。私はカメラともう少し親密になる努力をするつもりでいます。難しいのは一人ですることですが、友人やきっとこれからは会うことのない人々の強力によって成し遂げるのは、決して頭を悩ますような問題ではありません。世界は晴れ渡っていて、周囲は意外にも協力的です。

うーん、難しいな。エキサイト翻訳cyouの文章を書くのは。

いずれマスターしてやるんだから。

だってふつうは思いつかないじゃないの。
「シーフードは気まぐれに良いです」なんて。この言い回しは私にとって心に響くものがある。

バリ

バリといえばバリハイを思い出す。
『南太平洋』だっけな?あのミュージカルは。

それにしても、あっという間の旅行だった。今回の旅行は。
いまだにあまり実感がない。

しかし、あんなにたかり、ぼったくりが多いとは。
あほ観光客丸出しでいたのがいけないのはわかるが、メータータクシーに乗ったのに「メーターはつけないよ」と言われたあの屈辱!

マッサージ屋で友人にはじめからおわりまでチップの話をしてきた店員。ついでに、マッサージ屋で「寒いですか?」と聞いてきたくせに「寒いです」と答えたら二度も無視した店員!
歩いているとタクシーが「乗れ!」とばかりにクラクションを鳴らすものだから、排出物の名称を叫びたい衝動に駆られた。

ひどいよう。

空港の通貨両替所のちっこい窓から手を差し出してきた人たち!怖かった、本気でな。
海は噂よりずっときれいだった。物価も安かった。この私がなかなかお金を使い切らなかったんだから相当なものだ。

そんなこともあって、また行きたいとは思った。
が、今回のように、ぼられ、たかられる旅には絶対にするまいと心に決めている。

意外にも印象に残っているのが、奇妙なナイトクラブのことだ。
入るなり金髪のロカビリー風(?)の兄ちゃん達が5、6人、たいそう軽いノリで出迎えてくれた。
日本語にするなら「らっしゃいませ~」とでも言おうか。
ホストクラブ、ううん、サパークラブ(男性が接客してくれるスナック、パブのようなものらしい)かと思ったわよ。

とにかく苦手なノリだ。軟派はいかんよ、軟派は。

彼らに案内されて私たちはステージ目の前の一番目立つ席に着いた。
すぐ近くのステージで繰り広げられているのはちょっとしたライブ・ショーだ。
レオナ・ルイスのヒット曲を男女2人組の歌手がデュエットしている。
けっこううまいことにおどろいた。

二曲目は男性のソロ。知らない曲だがロックのバラードだ。いい声をしている。曲も彼の声質に合っているし、パフォーマンスもなかなかだ。

次の女性ソロはいまいちだった。高音のつややかなのびが素晴らしい声なのに、低音の、激しいロックを歌って何だか不完全燃焼。ビブラートが目立つ歌い方だからあそこまで言葉数の多い曲だとくどくなってしまう。音程も不安定だ。

続いて再び男性ソロだってが、弾むように能天気なリズムと彼の声質がちっとも合っていない。衣装も曲と合っていない。声量や高音の綺麗さをちっとも生かしきれていない。完全なる選曲ミスだ。

私はランディやポーラやサイモンのようにぶつくさ文句をたれながら鑑賞していた。

男性ソロは『今夜はビート・イット』に相当の自信があるらしく、何のみだれもなく歌いはじめた。かなりなりきっている。本人より声量もあるし、声も澄んでいてよく通る。が、なんとまあ無難。よくもわるくもないうえ、歌っている姿がナルシストすぎて不愉快。
だったらモニターに映ったMVを観るほうがいいじゃん、と思っていたら、ステージ上にさっきのサパー風男児達が上がりはじめるではないか。

どうやらその中の一人が誕生日らしく、あまり上等そうでない酒をかなり強引に一気飲みさせたり、火をつけようとしたりと、どこまでもサパークラブみたいだ。

私は知り合いでもなんでもないのだから、まるっきり面白くない。

それからその従業員集団に謎の女が加わり、ユーロビートと思われる音楽が流れ、彼らは揃いも揃ってパラパラとも盆踊りともサタデーナイトフィーバーもどきともつかない踊りをおどりはじめた。
ルミカライトでも持ってくれたらよかったのにさ。

そのころになると、さすがに私も友人も耐えられなくなりその場を後にしたのだが、今思えばもう少し見物してきてもよかったように思う。

きっと一生見られないだろうから。

バリ島のクラブ全般がああだとは思えない。実際、そうではないだろう。
しかし、今度行った時は夜遊びをプランに入れることはないと確信している。

究極の選択、質問

明日は久々にインタビューらしきものを受けてくる予定だ。
おそらく雑誌、だと思う。定かではないけれど。

うおっう、楽しみィ!
↑ これが言ってみたかったのよ。

そして、インタビューと言えば定番中の定番の質問がある。
今後の予定は?でも初恋は?でも、チャームポイントは?でもない。

「無人島に1つだけ持っていくとしたら何?」
である。

たいていの方は「んなもん、考えたことねーよ」という答えなのかもしれないが、私はデビューちょっと前、サインを考える時すでににこの質問に対する答えを考えていた。
それもそのはず。
小学校だか中学だか高校だか、いつだかは忘れたけれど、究極の選択が流行った時期があって、その時に友人間でしきりにされていた質問がこれなのだ。

究極の選択の定番は何と言っても「うんこ味のカレーか、カレー味のうんこか」だろう。
味がうんこでも材料はカレーなのだから、うんこ味のカレーがいいにきまっとる!と私は以前から主張している。

ちなみに、それ以外の定番究極の選択にいくつか答えてみようと思う。

すごく格好いいけれどものすごく貧乏な男と、たいそう不細工だけれどたいそう金持ちの男。恋人にするならどっち?(『あさりちゃん』より)

「恋人」という概念を持たない私にとって、いまいちリアリティのないこの質問は「恋人」ではなくて「男親」に置き換えてみる。

これはわりかし用意に選べる。
間違いなく後者である。

自分が美容に気を使う人間でいようとしている間は、そもそも周りの人間に----とりわけ男で美容に気を使っていない人間に----すごく美しい人がいるっつーのはあまり喜ばしいことではない。
この人とくらべたら私なんか......とうじうじしてしまいそうだから。

それに、ものすごく貧乏な親(親友)がいたら、必然的に彼と何かをする時の会計はこっちが持たなくてはならない。
超絶にけちな私としては許せない。
金銭のトラブルを招く人物とはかかわりあいになりたくない。

はい、次。

病的なデブと病的な痩せ、あなたが男だった場合、セックスしたいのはどっち?

これは本当にどちらでもいい。というか、病的であるならどりらも嫌だ、というのが本音だ。
最中にぶっ倒れてしまったらどうせよというのか!
いくら私が男でも、そこまでの責任は持てない。
だが、強いて言うならば、デブが相手だとこれが撮影だった場合、無理な格好をして怪我をする可能性があるので、痩せを選んでおくか。

同様の質問だと、すごいブスの女とすごい美人のニューハーフ(まだついている)はニューハーフがい
い。

たいていの男性は私と同意見のようだ。

さてさて、「無人島に1つだけ持っていくなら何?」という質問だが、多くの人が火をおこすもの、食糧、ノート、ナイフ、鏡、かぜ薬、などと答えるようだ。
ずるい人は、友達(家族)、サバイバルマニュアル、などと答えるらしい。

しかし私のずるさはそんなもんじゃすまない。

私だったら絶対に、無人島でサバイバルを生き抜いた経験のある人、もしくは操縦の簡単な船である。
一説によると、食糧だとか、かぜ薬だとか、どれだけ島での生活を快適にすごせるかに重きを置く人は受け身で、ボートなど、脱出できるものだと答える人はその反対らしい。

が、この質問、よーく考えるとずいぶん曖昧であるが、そのことに突っ込む人間をまだ見たことがない。
だからここで突っ込んでみる。

無人島ってそもそも迎えが来ない事を前提にとて言っているのか、ある一定の期間限定でってことなのか?

期間が決まっているのなら、私だって脱出なんて危険なまねはしない。
船も人もいらない。
多くの人と同じようにサバイバルマニュアルって答えるだろう。

もしも明日この質問をされたら、期間はあるのか聞いてみようっと。

まあ、『あさりちゃん』にもあったように、深く考えないから「究極の質問」あるいは「究極の選択」なんだろうけれど。

考えてしまう性格の人には意地悪な問題だよなぁ、とつくづく思うのだ。

シャトー・ディゲム

最近嬉しかった出来事。それは何よりかねてより味わってみたいと思っていた貴腐ワイン、シャトー・ディゲムを飲んだことである。

いつも通り『美味しんぼ』に影響され、いつか口に含んでみたいと切望していた。 ボトルまるまる1本じゃあ、とても手の出る代物ではないが、グラス1杯分くらいなら、私なんぞが頼んでも、それほど経済的ダメージを受けないだろう……と考えていたのだが―― グラスで出している店なんぞそう簡単には見つからず、この頃では「もう一生かかっても飲めないさ」と諦めかけていた。 そんな時、たまたまたまたま、本っ当にたまたま、私の願いは叶えられた。

その場に居合わせた方々には「そんな大げさな」だとか、「本当にこの言葉を聞く日が来るとは!」などと思われていたかもしれないが、私は心底思ったことを口に出したのだった。 「生きててよかった!」

本当に生きていて良かったよ。

いやあ、何にせよ夢を持つことは大切ですな。 思い切って言ってみることも大切ですな。いくら飲みたくて飲みたくてたまらなくても、黙っていちゃあ、他人はわかってくれないもの。エスパーでもない限り。

山岡さんや大原社主の姪が美辞麗句を並べたてるのも、納得できるお味でした。 朝起きて一番に飲む水とどちらが美味しいかと言われたら答えに困るが、これまで飲んだ酒の中で上位に入ること間違いなし。 じっくり味わうつもりだったのに、ごくごく飲んでしまい、少々後悔している。 味を覚えている間もなかった。

しいて言うなら、とろりと甘いのに、砂糖の甘味は感じられず、えぐさがなく、酒にありがちな喉でもたついたり、ひりひりする嫌な感覚が一切なく、後味は意外にも爽やかで、強烈なところは一切ないが、心地よさだけはいつまでも残るような味だった。 うーん、ややこしい。

味もさることながら、素晴らしいのはその酔い方だ。 私はくどい顔をしているものの、体質はどこまでも日本人で、アルコールを分解しやすいほうではない。人様以上に。

つまり、めっぽう酒に弱いときている。

ジンロや鏡月に関しては添加物へのアレルギーがあるのか、少し飲んだだけで背中がかゆくなり、発疹のようなものができる。 血行が良くなるからだ、と人は言うが、入浴中も、他の酒類が体に入った時にも、そのような症状はおきないので、やはり、あれらの酒は特別、私の体には合わないのだろう。 それに、酔っ払ったってまるきり楽しくなんかならないのだから。 むしろ、風邪で発熱した時と似た感覚に陥るのだから、これはもう気の毒といってもいい体質だ。

多くの人は酒が入らないとカラオケができない、というが私の場合は逆で、酔うとカラオケが嫌いになる。 第一に、アルコールが喉を通過する時、ひどくしみて、下手をすると扁桃腺に影響が出るものだから、飲酒すると喉が嫌な感じになり、カラオケなんて自殺行為だから。 第二に、酔うと耳が遠くなり、自分の声も音楽も聞こえにくくなる。当然音程も外しやすくなる。聞こえなくて必要以上の大声を出してしまい(しかも腹筋に力が入らなくなるので、喉をいため、響きも悪くなる)ただでさえ扁桃腺が嫌な感じなのに悪循環だ。

が、シャトー・ディゲムは、たっぷり飲んでも耳が遠くも、喉が痛くもならず、カラオケにそれほど影響を及ぼさなかったのだ! 多少愉快な気持ちにもなったと思う。 なんてえらい酒なのだろう!!! これならば毎日飲んだって悪くない。 いや、毎日飲酒は良くない。アル中になるのは嫌だ。くわばらくわばら。

だが考えてみれば、シャトー・ディゲムを毎日飲むなんて不可能だ。 それどころか、今後の人生であと一度でも飲めるかだってあやしいものだ。 あのワインのうっとりする思い出を胸に秘め、アルコールとあまりかかわらない人生を送ることになるのだろう。

 ホストクラブ観光記

たかが五千円。ううん。

されど五千円。うううん。

何と言っても五千円、だ!

これだけチャージしたスイカならば贅沢品であり、図書カードだったらあげるのに最もふさわしい額であり、クレンジングだったら1、5カ月は愛用でき、食事だったら私にしてみれば目の玉が飛び出るほど(昼食だったらな)豪華なものが食べられる額。
それが五千円。

決して「どんな男がタイプなの?」

「最近観た映画かあ。『レッド・クリフ』かな。女の人はあんまり好きじゃないっていうけど・・・・・・。泣けるのだったら『ショーシャンクの空に』がお勧め。『パッション』?あれはタブーに挑んだよね」

「へえ。0型なんだ~。実は面倒くさがりだとか?0型っていいよね。自分も0型なんすけど・・・・・・」

なんつー会話をして終わらせるべきではないと思うのだ。

しかし、いくつかの気まぐれと多大なる好奇心が、私に通常では考えられない五千円の遣わせ方をしてしまった。
何が言いたいかって?
つまり、初めてホストクラブというものに足を踏み入れてみたってことだ。

むろん、観光が目的だ。

私は決して社交的なタイプではないし、思いやりにかけるところだってある。
そして、何よりケチだ。
安いとは言えない金額を払った場所でまで、大人ならではの対応をすることはできないようだ。

きんきらきんに自分を飾り立てた、鳥みたいな髪形のお兄ちゃん達に対し、私は注文が多過ぎた、と今となっては後悔しないでもない。

「恋愛には興味がないんです。その話はしたくありません」

「お笑い?何が流行っているのか全く知りません」

「ほとんどテレビは見ないし、最近のオリコンがどうなっているかもわかりません」

「趣味は読書ですが、推理小説はそれほど読みません。好みが偏っているんです」

「アルコールは好きではありません。煙草も吸いません。寒いので氷りもいりません。お茶だけをもらえますか?」

「ため口をきかれるのって嫌いなんです。こちらがお金を払っている場合には尚更。いらいらするのでやめていただけますか?」

「別に笑わせようとしなくたって結構ですよ。笑いを求めてここに来たんじゃありませんから」

終始無表情で私はこんな言葉を吐いていた。

我ながら、なんて嫌な客だろう。もしも自分が逆の立場だったら「だったら来るんじゃねえよ!!!」と陰口をたたいたことだろう。

だが、私がせっかく店のシステムや客層の話をしようとしても、恋愛や血液型や占いやお笑いのことばかり話してこようとされちゃあ、こっちだって強硬な態度に出る以外道はない。

ホストクラブかぁ。想像していたものとはだいぶ違っていたな。
客の大半は眼鏡にチェーンのついているようなマダムで、チーク・タイムがあり、会話の中に時々フランス語が入るようなホストが、髪をかき上げまくったり、胸に手を当てながら跪いたりするものであってほしい。
そんな期待でいっぱいだったのに。

レースつきのYシャツを着た人を見る事ができたのはたいへん貴重な経験になったのだが。
何より面倒だったのは、接客してくれるお兄ちゃんがころころころころ入れ代わるから、面白くもない話を毎回毎回、最初っから話し直さなくてはいけないことだ。
いい加減嫌気がさしてきたので、指名でもしようかと思ったくらいだ。
が、指名したくなるほど変わった人もいなかった。残念。

もう歌舞伎町にはいくまい。

だが、浅草にもホストクラブがあって、そこの客層はマダムメインらしい。
そこだったら、異空間を味わいに行くのも悪い考えじゃないな。

二千円以内なら・・・・・・ね。

野鳥通販

日本野鳥の会通販なるものがある。

その存在を知ったのは、たまたま立ち読みした女性誌。
「この不況だからの、私だけが知っているお値打ち品」みたいな企画だった。そこで、日本野鳥の会、バード・ウォッチング長靴を紹介している人がいた。

彼女の言う通り、なかなかスタイリッシュなデザインで、一時期流行ったハンターの長靴や私の持っているエミリオ・プッチのものよりも、ずっと長靴長靴しておらず、¥4,980という値段に見合うのだかそうでないのかはわからないが、私の購買意欲を刺激するには十分であった。

エコバックやら、会報専用バインダーやらと一緒に家に届いたのが昨日。
開封してみてびっくり。想像以上に素敵だ。まあ、長靴に限っての話だが。

会員ではないので会報を持っていない私にとって、バインダーは意味をなさない。エコバッグも使うかどうかわからないし。あやしいチャリティバッグを買ったばかりだもの。

しかし、会報を読んでみたいものだ。やはり会員になるべきか?
入会金次第だけれど。迷うなあ。

会員になったからといって、集いやバード・ウォッチングに参加するほど、私は野鳥そのものに興味はない。気になるのは会の存在そのものだ。

きっと多くの非会員が私と同じ気持ちだと確信している。

野鳥マニアってどのような方々なのだろう?紅白歌合戦でのあやふやな記憶だと、わりかし神経質な方が多かったように思う。

眼鏡率は忘れてしまったが、きっとものすごく目の良い人の集まりだったのだろう。そうでなきゃ紅白には呼ばれない。

男女の割合はどうだったか?長靴のサイズを見てみると23センチなんかもあったから、女性の会員も少なくはないのだろう。うん。さっきよりも思い出してきた。女性会員の特徴は、青山のクレヨン・ハウスにいそうな、黒髪で、色白で、敏感肌そうで、意外に下着にはこだわりがありそうで・・・・・・。

だいたい、私が見た雑誌にあの長靴を紹介していた人は会員だったのか?
あの通販は会員以外でも何の支障もなく利用できるが、そもそも私のように何かに紹介されているのでも見ない限り、あの通販の存在を知る機会はそうそうないのではないか。
会員でない限り。

ネットで何かを検索していてひっかかったのかもしれない。が、それだって、「日本野鳥の会」と検索しなくてはならないのではないか。

少なくとも、彼女は日本野鳥の会に興味があったのだ。そうに決まっている!!!

話は少し変わるが、私と同じように――おそらく件の雑誌で――あの長靴を検索しようと人が日本中にいたらしく、グーグルで「日本野鳥の会」と入力したら、「日本野鳥の会長靴」という予測が出てきた。
おそらく売上も上々だろう。会員でないとしても、あの人は野鳥の会に相当貢献したことだろう。
見上げたものだ。

メディキュットもどき

なんというんだろうか・・・・・・最近若い女共の間で流行っている、スパッツとタイツの中間みたいなやつが嫌いだ。

あれの名称を知っていたなら名指しで文句つけられるのに。よくわからないから悔しいなあ。
強いていえば、メディキュットに似ているのだが。

わからないかしら?メディキュット。

スリムウォークのほうがわかりやすいというのなら、スリムウォークでもいい。
とにかく、むくみを取る、あるいは穿いているだけでむくみにくい脚にしてくれる靴下。それと、スパッツとタイツの中間のような忌々しい流行りものとは似ている。

あれを好んで穿く人達の気持ちがわからない。

「かわいい~」などと思うのだろうか?あの踵とつま先が情けなく露出した足先を見て。
いや、私は思わんね。

だいたい、あの形(表現しにくいから絵に描くわよ)にすることで、いったいどんなメリットが生まれるというんだ。一節によると「タイツよりカジュアルでスパッツより脚が長く見える」らしいけれど。
デメリットのほうが多いのでは?

身を持って体験している方もいるだろうが、皮靴でも運動靴でも、素足に穿くと靴下のある時と比べ、一段と蒸れる。水虫になる確率だって高くなる。靴下の素材が薄ければ薄いほど。
そうだろう?

防寒にだってならない。それに、あのまま日焼けをしたらお気の毒なことになる。
雨が降ったら最悪だ。考えるのも無残。何より一番許せないのが、みんなあれを華奢な、いかにもお出かけ用という感じの靴に合わせていることだ。
どう見ても相性がいいとは思えない。
ベージュのストッキングも同じくらい許せないけれど。

どちらにも共通しているのが、どんなに頑張ってもぬぐい去れない貧乏臭さだ。
カジュアルな服ならまだしも、甘ったるい服装であのメディキュットもどきを合わせられると、本当にメディキュットを間違えて穿いてきてしまった人のように見える。

ばっちりきめている人が実は家ではメディキュット・・・・・・。
そのギャップにぐっとくる輩もいるのだろうが、私にゃ関係ない。あふれ出る生活感に、見ているだけで包装紙をきれいに剥がしてひきだしの奥にためておいたりしなくちゃいけないのかな?なんて余計なことを考えてしまう。

ひどい時には、幼い頃、500ミリの空きペットボトルに2ℓのミネラルウォーターをうつしかえた時の、あの空きペットボトルにかすかに残るコーラだのファンタだの、桃の天然水だのが、吐き気がするほど薄まった味が舌の上にかすかにだが再現される気さえする。

貧乏、節訳、しみったれ、リサイクル、ケチ、オバタリアン・・・・・・。

このような単語を連想してしまう力が、あのメディキュットもどきにはある。

絶対に絶対に買うもんか!!!

あじごのみ

いりこもグリーンピースも中途半端に甘じょっぱい味のおかきも、単品では全く魅力を感じない。どちらかというと嫌いなほうであり、口にふくみたいなどとは到底思えない。

豆なんて、どちらかというと嫌いなほうである――どころか、大嫌いなのに。
だって豆を食べた後って、まるで3日も磨いていないみたいに、歯の表面がざっらざらになるんだもの。奥歯にこびりつくカスがまた薄気味悪い感触で・・・・・・考えただけでも、胃の奥から酸っぱいものがこみ上げてくるわよ。

それが・・・・・・だ。何故に「味ごのみ」という商品名となって袋に入っていると、食べても食べてももっと欲しくなる魅力的な存在になってしまうのだろう。
不思議で、不思議で不思議である。

「味ごのみ」の楽しみ方は人の数だけ存在するだろう。

私の場合、丸く、ピリ辛く、表面にきざみ海苔をまぶしてあるものと、イカっぽい味のおかきを1つづつ噛み(2~3回かな)うまい具合に味が混ざってきたところd、いりこを一匹仲間に入れてやる――という食べ方が最も気に入っている。

あのピリ辛おかきだけなら、腹がすいている時ならば単品で食べてもいい。したがって「味ごのみ」の中でも1番の好物だ。ひいきしていると言っても誇張した表現にならないと自負している。
丸く膨れ上がり、赤ら顔で、あたかも酔っ払っているか怒っているかのような(その両方と言ったほうがいいかもしれない)佇まい!魅力的ではないだろうか!?

人間に例えるなら、背は小さく、ももひきにはらまき姿、禿げあがった頭に外仕事と長年の飲酒の習慣から、赤黒さの定着してしまった顔色の、べらんめい口調で荒っぽいが、情にもろい、江戸っ子男性といったところだろう。
酒と博打と演歌が好きで、かかあにゃ頭が上がらない。
安っぽい漫画でもう何十年も昔から使い古されたような、でも実際にはなかなか居ないであろう人間像。

イカっぽい味のおかきは、大人しく、どちらかといえば文化系の、眼鏡をかけた高校生男子。
いりこは、細くて小柄で、顔立ちは整っているのに、化粧っ気のなさや、ぼさぼさの頭、家事やパートで疲れた顔から、実年齢よりずっと老けて(醜く)見える女性。

この3人は家族だ。きっとそうだ。
だから口の中で一体となった時、あんなに相性がいいのだ。
裕福ではないが幸せそうな家族を丸のみにするという、こうやって表現すると恐ろしく残虐な行為に、いけない気持ちよさを感じてしまう。

「味ごのみ」は私(だけ)にとっては禁断の味であり、だからこそこれほど強く心惹かれる菓子になり得たのだろう。

妖怪枝毛女

やめられない、とまらない・・・・・・例のえびせんでそんな風になったことはないが、私は枝毛を切り始めると、どうにも止まらなくなる。
ほくろの場合、数えれば数えるほど増えるというけれど、枝毛も切れば切るほど増えるんではないかと思う。

どう考えてもさっき切り取ったはずなのに、数分後に同じ個所を見ると、またまた枝毛になっているのだから間違いないだろう。

もしかしなくても10本に1本は枝毛なんじゃないだろうか。

枝毛も嫌だが、切れ毛も嫌だ。切れ毛は枝毛になる前の段階だと、私は勝手に想像している。
そして切れ毛になる前の段階は、「白いプチッ」だろう。
おわかりになるだろうか?できれば(できなくとも)わかってほしい。

明るいところでよーく見ると、毛先から数ミリ~1センチくらいのところに、小さいゴミがこびりついたかのような「白いプチッ」があるのがわかる。1束のうち数本はある。
さわっても凹凸があるからわかる。

そこは電車で言えば、接合部。人間で言えば間接みたいなもの(?)だ。
健康な髪と髪を接合する、気の毒なまでにもろくなってしまった部分。
ちょっと引っ張るとすぐに切れる。

放っておくとひとりでに切れて枝毛になるのだろう。おそろしや、おそろしや。
枝毛、切れ毛、白いプチッ。これらが髪の毛三悪だ。見つけたら切り取らなくてはならない。
が、今また枝毛を探していたら、新たな悪を発見してしまった。
白いプチッ→切れ毛→枝毛・・・・・・だとしたら、白いプチッの前の段階にくるであろう、憎たらしい奴。
曲がり毛だ。

くせ毛とかではない。毛先だけなのだから。ゆるやかなカーブならまだいいのだが、直角だとよろしくない。

きっと、その曲がった部分に負担がかかり、「白いプチッ」になるのだろう。
すなわち、未来の枝毛だ。

悪い芽は早い段階から摘むに限る。
そんなわけで、自説ではそうだが実際はそれが未来の枝毛候補だとはわからない曲がり毛も、私は容赦せずにちょん切ることにしている。

だが、枝毛も切り過ぎると良くないと聞いた。毛先がすかすかになってしまうのだとか。
すかすかの毛先は傷みやすいのだ。

つまり、私は自分で自分の首を絞める、あほらしい行為に時間と労力を使っているということだ。

・・・・・・へっ!!!

まとまりのない話

何故に!?

中規模のTSUTAYAの多くにはトイレがないのか?

仮にあったとしても、それがまた面倒な場所だったりする。新宿店なんて、わざわざアダルトフロアまで行かなければ駄目なんだから。18歳以下はトイレを使用できないのか?ひどい話だ。
しかも、1つしかないし・・・・・・。

絶対おかしいと思う。多くの人がもっともトイレに行きたくなる場所は本屋かレンタルビデオ屋ではないか。

そういえば、たいていの本屋にもトイレがない。万引き防止?それにしてもおかしいよ。トイレさえあれば、どれだけの不幸を未然に防ぐことができたと思うのだ?

これまで一線を越えてしまった人たちがふびんでならない(言っておくが、私はまだ一線を越えてはいないからな)。

この話はここで終わる。申し訳ない。もっと言いたいことが出てきて、それが私の指先を勝手に動かしているようだ。気持ちとしては、関連性のあるネタをふりたかったのだが、体が許してくれないのよ。
で、その言いたいことをここに主張します。

最近、以前よりAVを鑑賞するようになった。この業界にいるのだから、以前からもっと研究熱心でいるべきだったのかもしれないしかし、世にこれほどドラマ物が溢れているとは思わなかったので、出演者ではなく内容で観るものを選ぶ私の目は、ロマンポルノには向いても、AVには興味をひかれなかった。
世の中にはドラマ性重視の面白AVが溢れていることを、そういった作品を撮影するようになった最近知り、これまで観なかったことを激しく後悔している次第だ。

だが、これだけは言わせてもらいたい。

青少年に悪影響を与える可能性があることを、始まる前にちらっとでいいから警告してほしいのだ。

例の事件以来、アニメ業界はやっているではないか。
「TVを観る時は、部屋を明るくして、少し離れた場所から観ましょう」と。

煙草だってしかり。

場合によっては、パッケージのロゴより大きく「あなたの健康を害する恐れがあります」と書いてある。
なのに、AVはどうだ。

「この作品はフィクションです。青少年の健全な性行為に悪影響を及ぼす場合があります。決して真似はしないように」

このくらいは警告して欲しい。

この仕事に関わっている中で、唯一それだけが後ろめたい。

それに、警告文があったほうが「悪いことをしている」という楽しみが増しませんか?
いかがだろう・・・・・・。
以上。まとまりのない話でした。ついでに画像も全く関係のないものです。

気になるボカシ

スイミング・スクールのインストラクターの役だった。久しぶりに爽やかなスチール撮影だった。歯を見せて笑うことってあまりないんだもの。たまにはあんなのも新鮮だ。
多分だが、主に競泳水着フェチの方が観る作品ということで、そこのところは随分こだわって撮っていた。

基本的に水着は着たまま。あれは肌の一部ということらしいからな。
ウルトラマンの皮膚(?)みたいに。それじゃ脱皮しちゃあいけないよな。
こだわりはそれだけじゃない。
リアリティを出すためなのか、ちゃっちいものではなく本格的な競泳用水着を着るのだ。当然、ロゴが入っている。
隠さなくてもいいのか?不安になったが、あることをしなければいい・・・・・・ということになっているらしい。


注意。ここから下ネタです。嫌いな方は今すぐ読むのをやめましょう。

その「あること」とは、つまりだな・・・・・・あれだよ。ロゴにかかるようにフィニッシュをすることだ。
そうしなけりゃ、ロゴを隠さなくてもいいというのだ。
本当かな?

どういう基準かわからない。汚さなけりゃいいってこと?うーむ・・・・・・。
以前はボカシやモザイクが入っていたらしいけれど。それも目ざわりだよな。

そういえば、つい最近『赤塚不二夫のギャグ・ポルノ 気分を出してもう一度』を見た。ご本人出演の、その名の通り、ギャグ満載のポルノ映画だ。
「私だって好きなように人生を送ってやるんだから!」観終わった後、そんな風に思える作品だ。
だから、今日も私は楽しんでこれたんだ!!!

しかし、『気分を出して――』にも、気になるボカシがあった。
劇中で「赤坂先生」の着ているTシャツだ。
白地に赤のパイピング・・・・・・だったかな?違ったかもしれないが。
まあとにかく、そのTシャツにずーっとボカシが入っていた。長いシーンなだけに気になってしょうがなかった。

あそこにはいったい何が描いてあったのだろう?
有名な鼠か何かのプリントでもあったか。それか、大企業のマークだということもある。

誰か存じ上げませんか?

ぼくの哲学

私は胡散臭さをこよなく愛する胡散臭い人間なのだが、『ぼくの哲学』を読んでアンディ・ウォーホルも(もしかしたら)そう遠くないタイプなのでは、とまことに勝手ながら思ってしまった。

アンディ・ウォーホルと言えば、かの有名なマリリン・モンローのイラストがある。カラフルなやつだ。もう!うまく説明できない!

時々アダルトビデオにも登場する。多くのスタジオにあのイラストのポスターが貼ってあるのだ。
何を隠そう私の子ども部屋にもあれが貼ってあった。以前にも書いたかもしれないが、部屋を飾りつけることに凝った時期が私にもあったのだ。

カントリー期とポップ期があり、モンローのポスターはポップ期にまず買ったものだったように思う。ジェリービーンズを瓶に入れて飾ったりもしていたなあ。懐かしい。

『ぼくの哲学』に話を戻そう。

この人の言っていることには『気になる部分』以来、久々に共感した。
「口の右側が美味しいものを食べていると左側が妬く」
全くその通り!過去何回か同じような事を人に言ったのだが、誰にも理解してもらえず少し寂しかった。が、思わぬところで似た考えを持つ方を発見した。

私も歯を磨いている時なんか特に「ごめん。我が右手よ。毎日何回もこんな重労働をさせてしまって。そのかわり重たい荷物は左手に持ってもらうから許せよ!」などと考えながら手を動かしている。
「小切手はお金じゃない」

はい。これも激しく共感。クレジット・カードだってお金じゃない。たとえばあと200万円の利用枠があっても、それはその人が200万円を必ずしも持っているということではない。
私には借金がある。歯医者で組んだローンだ。

「僕はプラスチックのアイドルを愛している」
私だって!

他人の哲学を読んでいると、自分も何か発言したくなる。私の知らないところで同じことを言っていた人が(たくさん)いたとしても構わない。

よく「尻くらい触られろよ、減るもんじゃないし」と言っているチンピラを物語の中で見かける。以前は私もそう思っていた。「そうだ、そうだ!減るわけないだろうが!勿体ぶりやがって!」と。
だが、考えを改めるようになった。

「減るもんじゃないし」は嘘だ。尻自体は減らないが、多くのものが減る。
そういう女性を何人も見てきた。

もっと『わたしの哲学』がやりたかったが、そろそろ時間がなくなってきたのでこの辺りで。

裸体の王様?

それにしても、とんだ衣装道楽だわ。裸の王様並み。『裸の王様』のあらすじは有名なのでいまさら説明するまでもないかもしれないが、一応記述しておく。

新しい服を着るのが何より大好きな王様は、馬鹿には見えない布地で出来たという服を騙されてオーダーした。王様は勿論、家臣までもが馬鹿だと思われたくないと、見えない特注服を褒めそやした。自分は見えないくせに王様はすかっりいい気になり、大得意でパレードに挑む。見物人も馬鹿だと思われたくないため、裸の王様をもてはやすが、とある子ども(本当は子どもでないと聞いたが)が、「王様は裸だ!」と叫ぶのである。

今までこの話については、その教訓ばかりに気持ちが行っていたが、よくよく考えると妙な話だと思う。
だって王様は詐欺師の仕立て屋に「この布は馬鹿には見えない」と言われ、それを承知で服を注文するわけだ。当たり前だよな。

が、当たり前すぎて今まで気がつかなかったことがある。

彼は馬鹿には見えない布地だと知っていた。現に自分には見えなかった。だとすれば、仕立て屋が詐欺師でないとしても、世の中に大勢いるであろう馬鹿には見えないということになる。馬鹿がいないはずがないので、パレードなんかをしたら絶対に誰かしらには裸を見られてしまうではないか。その事については特に恥ずかしくなかったのだろうか?人様に裸を見られることに特別抵抗がない私と同じように。露出願望があるととられてもおかしくないではないか。

そうでなければ、自分の国には馬鹿など一人たりともいないはずだ、と安心しきっていたのだろうか?
それとも馬鹿になら裸を見られてもいいと考えたのだろうか?そりゃあないよな。一国の王だよ。簡単に裸を見られてもかまわないなんてプライドの低い奴では絶対ないだろう。むしろ馬鹿に見られるより利発な人間に見られたほうがよくないか?仮にも王様だ。裸を安売りしたりはしないだろう。
こんな風にいろいろと――しかも真夜中というか明け方に――思いをめぐらせてみたが、結局は王様はそれほど深く考えていなかったのだろう。

なるほど。馬鹿なだけある。

まあ、人の事は言えないのだけれどさ。だが、私の場合同じ馬鹿でも注意深い馬鹿なのだ。コスプレの時はだいたい物凄いミニスカートなので、見せパンツから本物の下着が「はみパン」していないか、えらく気にしている。

裸やパンツそのものよりも「はみパン」を見られる方が、私の場合よっぽど恥ずかしい。比較にならないほどみっともないと思う。

こういう感覚も馬鹿特有のものなのだろう。

ちなみに『裸の王様』の王様は素っ裸ではなく下着は身につけているらしい。だったら露出狂である可能性はぐんと減る。

炭水化物

弁当箱の中、メインディッシュの下敷きになったほんの数口程度のスパゲティ。あれを見るたびに気の毒な気持ちになるのは私だけだろうか?

弁当の中身にも役割があると思う。ハンバーグ弁当ならば、ハンバーグが主役だろう。海老フライだとか、魚の揚げたものだとか、メインよりやや少なめのおかずは準主役といったところどろうか。サラダがあったらフレッシュな新人。デザートは舞台に花を添えるお色気女優。煮物はいい味を出したベテラン脇役、おしんこ、梅干しなどは口直しにもなるということから、シリアスなテーマにユーモアを一味加える、脇だけれどオイシイ役どころの俳優だ。

そしてご飯はパンフレットやエンドロールで一番最後に名前の出る影の大物以外にあり得ない。ベテラン、実力派、存在感はあるが、目立ちすぎないよう自分をコントロールできる。誰と組んでも相性ばつぐん。ただ、フレッシュな新人やお色気担当大根役者とは合わないこともある。
弁当の中身を役者陣に例えてみるならそんなところだろうか。

やはり、それぞれ自分の持ち味を生かしたポジションにいる。

が、ほんの数口のスパゲティはどうだろう。あの部分にレタスがある場合もあって、レタスならばそこまで自己主張が強くなさそうなので、はっきりしないポジションにも我慢が出来よう。しかしスパゲティはそれだけでも一品料理になる個性を持っている。味付けのない麺のみならまだしも、ナポリタンだったりすると救いようがない。可哀そうだよ。ズボンのオナラ(すみませんねえ)。

そもそも美味しくないもん。実力を発揮できていないよ。せっかくスパゲティそのものは調理方法一つで至高の味わいにもなるというのに。あんな風に半端な扱いをするべきではい。たとえスペースが勿体無くても、スパゲティ・ナポリタンの真価を発揮できる場所を作ってやるべきだ。弁当箱のほんの片隅でいいから。弁当屋(コンビニ)さん、お願いしますよ。

だいたい、弁当の約半分は米の飯だと言うのに、更にもう一品炭水化物を入れる意図が私には理解できない。そばめしやワンタン麺ならまだわかる。味付けが同じだから。
だが、例のスパゲティやラーメンライスはわからない。ラーメンライスの場合頼まなければお目にかかることもないので別に構いやしないけれども。スパゲティは嫌でも多くの弁当の中に気の毒な(意味不明な)姿を見なくてはならないのだから。

それに純粋に不思議に思うのだ。あれは米の飯のおかずにしろということなのか?それとも単純に豪華な感じがするから?白いご飯も麺類もどちらもそこそこ豪勢だった頃の名残りなのか。味より量!炭
水化物いっぱい=腹持ちがいい!みたいな・・・・・・。

あ、こうかもしれない!!!ちょっと思いついた。

ハンバーグとかソースのかかっている食べ物の場合、真下がじかに弁当箱じゃ汁気が流れてしまうからなのでは?そんな気がしてきた。
だって、ああやってスパゲティが使われている弁当って基本は安物だもの。手作り弁当や値段の高い

弁当の場合、下敷きにスパげティーは少ない。あれらは紙だのアルミホイルだの下に敷くものがあったり、箱自体がすごく細かく仕切られている気がする。
あれはスポンジ(?)がわりなんだ!!!

間違っている可能性がとても高いが、無理にでも仮説を立てないといつまでたっても解決しないから、そういうことにしておこう。

調べればわかる。それはわかる。
だけどこうやっていろいろと思いを巡らせる楽しみって何物にも代え難い。

あんまりお勧めはできないが

皆さんは「プラップ・ソワップ」というサイトをご存じだろうか?私も人づてに聞いたもので、今さっき開いてみた。

しかしまあ、辿り着くまでに時間がかかった。私がいけないのだ。名前をうろ覚えだったから。
「クラップ・ソラップ」とか「クラック・ソラック」とか、とにかく「ク」からはじまるとばかり思っていたのだ。だからいくつかキーワードを入力して検索することにした。

「気持ち悪い」、「画像」、「解剖」、「死体」、「グロ」、「投稿」、こんなキーワードだ。

グーグルで40番目くらいに来るとあるグラフック・デザイナーさんのブログから「プラップ・ソワップ」に行くことができた(この方のブログに載っているアメコミやマイナーな映画が凄く面白そうだ)。これから検索する方はただ「プラップ・ソワップ」とだけ入力すれば」よいだろう。本家本元は英語版みたいだけれど、なかなか英会話教室に行けていない私の語学力だとちんぷんかんぷん。日本語版をお勧めする。
キーワードでお気づきになったかもしれないが、このサイトは投稿型のグロ画像&動画専門のサイトです。ユーチューブでもそういった動画を見られるが、登録がややこしい上、種類も少ない。
「プラップ・ソワップ」のほうは登録もいらないし、そういったものしかないから探す手間だって省ける。難点は偽物っぽいものも多いこと、それから変なウイルスを拾ってきそうなこと。これは困る。大切な大切なパソコンが壊れたら生きて行けない。

だが、そんなことは後になって考えたこと。やっとサイトを見つけた2時間前の私は夢中で動画を見まくっていた。グロ画像や動画って全然平気だ。特にはらわたぐちゃぐちゃ系は腹が減るほどだ。だから今私はひたすら焼き肉が食べたい。男性の皆さん、引かないでくださいな。女なんてこんなもんですよ。俗な言い訳だけれど、血には男より断然強い。

心霊系の動画も豊富なのだが、会話が日本語でも中国語でも英語でもフランス語でもイタリア語でもない国の物が一番リアリティがある、と私は感じた。

それから、このサイトの動画の特徴は投稿者がやたらこった編集をしたりしている(ものもある)ということだろうか。猫の死体が腐っていく様を早回ししているものなどは、子ども向け番組で見た、種が花になるまでの映像を思い出した。

あとはちょっとしたゲームなんかも楽しめる。
明らかに作り物なのだが、かなりリアルなゾンビを倒していくゲームをちょこっとやった。腐った肉の飛び散り方がけっこう気持ち悪い。短いし単純だし、いかにも素人投稿といった感じのしょぼい代物なのだが、気持ち悪さだけは大したものだ。

しかし、いったいどんな人が投稿しているのだろう?世界中に変人が沢山いるってことだよな。例のグラフック・デザイナーも自分で投稿したりするのだろうか?
好きな人は好きだと思うがウイルスを拾ってきそうなのであんまりお勧めはできない。だが、「プラップ・ソワップ」というのはどんな意味なんだろう。何語かもよくわからない。響きだけは妙に可愛くもある。





実は12時過ぎから眠ってしまい、今まで上に書いたような夢を見ていたのだ。起きてすぐ(名前を忘れないうちに)検索してみたが「プラップ・ソワップ」なるサイトは見つからなかった。本当にあったらそれこそ気持ち悪いけれど。

90年代をひたすら懐かしんでみる

これから私は1990年代に凝ろうかと思っている。

懐メロや、レトロファッションブームのせいか、70年代のファッションや文化は「お洒落。カッコいい」と言われ、80年代までもこの頃は「アリ」になってしまった。ブームの初めは嬉しかったが、最近は少し悲しい。一部のアイドルおたくのようだが、一般的に流行ると気持ちが萎えるタイプらしい。

だからその代わりに最近は90年代が気分なのだ。

たとえば音楽。今日は西田ひかるさんのアルバムを聴いている。それからいわゆるR&Bが新鮮だ。『もう誰も愛さない』の主題歌、『届かぬ想い』も聴きたい。野島ドラマも観たいな。

ファッションで90年代といえば、「ロゴマーク」が浮かぶ。プラダの三角ロゴ、パチものだらけだったD&Gのロゴ、下着と香水以外はあまり見かけなくなったカルバン・クライン。ブランドとは言わないかもしれないが、UFOキャッチャーの景品で多かったDJホンダの帽子。
ロゴではないけれど忘れちゃいけないのがグッチのバンブー。バニティ・バッグ。私とはあまり関係なかったけれど渋カジ。

今、改めて着るのならGジャンかな。あとはミサンガも欲しい。Gショックも気になるなあ。まだあるのかしら?トランス・コンチネンツ(コンチネンタルだったっけ?)もよく着ていた。明治通りあたりに路面店があったんだよな。なつかしい。究極はナイキのエアマックスだ!一応持っていたが、多分偽物だったんだろうな・・・・・・。

化粧品も思い出すとなつかしくってたまらなくなる。
海外土産の定番だったマックのチェリッシュ。松田聖子さん愛用と聞いて親戚に頼んだ。ワントーン濃いリップペンシルで縁取るのな。何が良かったのか謎だ。眉毛が細くなりだしたのもその頃か。私は小学生なのでそれはできず、細眉の母親がうらやましかった。
それからRMKが池袋西武にできたんだった。並んで買ったけ。スティラの紙やアルミチューブの化粧品も新鮮だったなあ。

そして、香水も当時のほうが買っていた。ジバンシイ、シャネル、カルバン・クライン、ニナリッチ、プチサンボン・・・・・・。

だが、下着は綿のパンツにスポーツ・ブラでした。しかも、親に買ってきてもらっていた。
こんな思い出もある。11歳の誕生日のことだ。プラダの財布をねだって買ってもらったはいいが、我ながら生意気な気がしていた。だって出すのは文房具屋とか駄菓子屋とかなんだもん。

だから、いつもロゴの部分を手で隠して使っていた。クラスメイトに見られるのも恥ずかしかった。文房具屋のお姉さんなんかには「偽物だから隠しているんだな」と思われていたことだろう。

物凄くとりとめのない話ですみません。結局何が言いたかったんだよ、私は。単に懐かしがり多かっただけなんだろうな。

プロレスバーに行ってきた。右を向いても左を向いてもプロレス、プロレス、プロレス!

トイレに行ってもレスラーのポスターだらけで、間抜けな半ケツ姿を見られているようでそわそわしてしまった。レスラーに限らずポスターだらけのトイレって落ち着かないよな。

さて、そこはプロレスバーなだけあって、8台くらいのTVが様々なプロレスを映していた。その映像を見ているうちに気になったのだが、レスラーの人達って外国人はそうでないかもしれないが、概して胸毛が生えていない気がする。ギャランドゥも・・・・・・。

お店の人に聞いたところ、対戦相手との摩擦のせいで薄くなってしまうとのこと。なるほどなあ。そいつは一理あるわな。それからこれはあくまでも私の勝手な想像にすぎないが、栄養を取ってもほとんどが筋肉のほうにいってしまうのではないだろうか。そういえばボディビルダーの体もつるっつるだもんな。つるっつるのてかってか。

だとしたら、やはり相撲取りもそうなのだろうか?あの人たちはすね毛すらない気がする。髭面もいないし。毎日のようにぶつかり稽古があったりするから?だから全身の毛がこすれてなくなってしまうのかしら?

曙さんなんかも現役時代はあまり毛深くなかったように思える。私の勘違いだろうか?
が、胸毛やすね毛、そしてギャランドゥはまだいいとして、ふんどしのTバックまわりの毛はあまりこすれてはいなさそうだ。

しかし、「はみ毛力士」なるものを私は未だかつて見たことがない。サッカー、野球、相撲がやっていたら97%(中途半端だな)相撲を観る私が、だ。

やはりきれいにお手入れしているのかな。ヴィーナス剃刀か何かで。剃刀負けしていないところを見ると(世のAV女優は臀部に剃刀負けのある人がやたらと多い)アフターケアも女以上に万全なのだろう。
でも、あれだけ体格がいいと自分で自分の尻の毛を剃るのは難しそうだ。ごく普通の体型の私だって尻の毛を剃れと言われたらきちんとやり遂げる自信がないもの。

きっと後輩力士に剃らせたり、友人同士で剃り合ったりしているに違いない(また勝手に決めている)。そんな力士たちのイメージを頭に思い浮かべてみた。なんだか微笑ましい光景だ。それから力士に限らず、体格のいい人はだいたいお肌が美しい。あれはどうしてだろう。「皺がないだけだ」と主張する人もいるが、皺とかそういう問題ではなくて、きめ細やかで、油水分のバランスがやたらと良さそうなのだ。

あれはどういうことなんだ?やっぱり栄養分と関係あるのか?脂っこいものを食べても脂肪として身につくから吹き出物にならないとか、体温が高くて代謝がいいから顔色も明るいとか。あまり外で運動しない――つまり陽にあたらないから――色白だとか。

赤ちゃんもぽちゃぽちゃっとしているが、どんな年齢の人間より美肌でないか。
逆にやせ型で肌質に恵まれている人はごくまれだ。

相撲取りの話に戻るが、彼らもそんなさまざまな要因が結びついて全身美肌なのかもしれない。剃刀負けしていないのではなく、そもそも剃るほど毛深い人が少ない職業なのかもな。

とてつもなく羨ましくなってきた。

やおい

私がまだ女子高生だった頃、古本屋で「同人女」なる人物をよく見かけた。
彼女はボーイズ・ラブ漫画のコーナーに、四六時中居座っているんじゃないかと思うほど、その本屋のそのコーナーに行くと必ず見かけることができた。

同人誌を書いていそうだから「同人女」などと、非常にひねりのないあだ名がついていた。
物凄く、というほどではないが、かなり太っていて、外見上の長所をあげるならば、とのかく巨乳だった。
というか、あの胸がなければ性別の判断は難しかっただろう。

年齢は何度見てもわからなかった。
漂うオーラはおばさんなのだが、肌や服装は中学生・・・・・・見ようによっては小学校高学年にさえ見えた。
私と友人の中で彼女はかなり気になる人物で、ストーキングまがいの行為までやった。

あれから数年。彼女と私の人生は何の接点もなく進んで行くかと思われた。が、直接関わったわけではないにしろ、私達の距離はここ最近、急に縮まりつつある。

それというのも、同人誌のやおい本に私が手を出してしまったからなのだ。

まさか、やおい漫画を読んで「ああ、いいわぁ~」などと思っているわけではない。
どちらかというと、読むことよりも探すことが楽しくって仕方無い。秋葉原のまんだらけで私は、一番しょうもなさそうな(同人女が俗に言う『萌え』という気持ちにならないような)同人誌を探すことに全神経を集中させた。

その時の戦利品の一部が画像の写真である(投稿した当時は見れたのさ)。
世の中には変わった物を書く人間が想像以上にいるものだ。

ミスター味っ子にムーミン、ハリー・ポッターにスター・ウォーズ。サザエさんにアンパンマンまである。
やおい漫画版サザエさんは、カツオと中島のプラトニックで、淡い淡い恋のお話。アンパンマンは「それいけ」ではなく「そううけ」ときたもんだ。

文字通りアンパンマンは、バイキンマンにもショクパンマンにもカレーパンマンにも、誰にでもせめられ「総受け」してしまうのだ。亀甲縛りをされて喜んだり、な。

しかも、たいそうな擬人化をされ、着ているもの以外、元のアンパンマンの影も形もない。
一番激しかったのはスター・ウォーズだ。ファンが見たら怒るだろうな。これに関しては結構人気のある題材らしく、コーナーまでも設けてあった。

同人女のように正しくやおい漫画を読むのも悪くはないが、こうやって曲がった読み方をするのも大変面白い。むしろそのほうがずっと面白い・・・・・・かもしれない。

男性にとって足を踏み入れづらい場所ではあるが、ありきたりのギャグ漫画に満足できなくなった人は勇気を出して覘いてみてほしい。

ああ無情

映画は観ていないのに原作を買って「DVDがレンタルされるまで待とう」と思った大勢の中の1人に私も含まれます。

あ、『納棺夫日記』は『おくりびと』がアカデミー賞を受賞する前に買ったので、今の品切れ状態(どうせこう言っているころには入荷しているのだろうけれど)を見ていると「ざまあみろー。少し高く売ってあげましょうかー」と思う。

『ベンジャミン・バトン』は恥ずかしながらフィツジェラルドの作品だと知らなかったが、そうとわかると期待が何倍にも膨らんだ。見たかった映画の原作者が好きな作家って嬉しくないか?
だが、正直期待外れだった。

とてもあっさりと書いてあるのだ。それはそれで好みの人にはいいのかもしれないが、私の期待していたものとは違っていた。

私がフィツジェラルドに(一方的に)求めているのは、バブリーな登場人物たちと、彼らが繰り広げる馬鹿らしくも健気な金持ちライフをあんまりうらやましくなく描写してくれること。
単純な絵柄の四コマ漫画ではなく、おめめキラキラ、レースふりふりの少女漫画を期待している、と言ったらわかりやすいだろうか?

金持ちを書いた作品なら、それこそ星の数ほどある。作品に金持ちが多数出てくる作家だって世界中にごろごろいる。しかし、成金をこれほど魅力的に書ける作家は稀有だと私は思っている。
中でも『リッツ・ホテルほどもある超特大のダイヤモンド』が一番好きだ。タイトルだけで「うへへへー」ってなる。
「ビルほどもある」とか「家より大きい」ではなく、わざわざ「リッツ・ホテル」だもの。いいこと言うよなあ。
これは親に「面白いよ」と無理やり読ませ「何がいいのかよくわからなかった」と言われた作品なのだが。

忘れるところだったが『納棺夫日記』は大変読みやすかった。

しかし、やはり「無常」についても言及してあった。仏教が出てきた時点で嫌な予感はしたのだが・・・・・・。

無常・・・・・・好きになれません。うちの母親が『リッツ・ホテル――』に対してそうだったように理解できません。無常そのものではなく無常=美という考えが。
花は散るから美しい。儚いものはみな可愛い。

嫌だね。花は散るから後始末が面倒で買う気にならないし、儚いものには「もっとしっかりせんかい!」と思うもん。永遠に不滅のものがないなんて夢がないよ。

フィツジェラルド作品の成金やバブル時代の人間達こそ無常を体現しているじゃん。と思われる方もいるかも知れない。確かに一理ある。バブルはその名の通り儚い。
ギャツビ―氏の豪華なパーティーには大勢の人が集まるのに葬式にはほとんど来ない。これこそ「ああ無常」である。

虚しいよ。美しくないじゃん。自分がその立場だったら、そう考えると恐ろしい。
無常を美化するのはやめましょう!「さくらソング」もそろそろ出てくるだろうけれどやめましょう。

いつのまにか話が変な方向に行ってしまった。

あぶないところだった

危なかった。
もう少しでシャネルの自社ショッピングバッグをモチーフにした革バッグを買ってしまうところだった。
ずっと(一か月かそこら)欲しくて、やっと見つけた。残りはもう1つだけ。タクシー&外食絶ちを決心した。私より先に手に取っていた他人が、再び店員に返すまで、三十分以上待った。死ぬ気で働こうと思
った。

その時手に取っていた人も、すでに買って持っている人も、お世辞にもセンスがいいとか、美人だとかは言えず、複雑な気持ちだった。そうは言っても、広い世界には素敵な外見をしたこのバッグの愛用者だっているはずだ。目の前の彼女達に関しては見なかった事にしようと思った。
とにかく私は、本気で買う一歩手前にいた。
ショッピングバックに高値がつき、それがネット上で売買されている中、アホとも言えるセルフパロディに二十万、三十万の値段をつけるシャネル。

その心意気に惚れたのだ。持っているだけで風刺劇に参加できるなんて最高ではないか。
だって「世の中アホだらけ。そんな私はといえば、もちろん疑いようのないアホです」って看板を見せつけて歩いているようなものだよ。
私の性分には最高に合う。

だが・・・・・・性分に合うからといって、私自身に似合うとは限らなかった。
それもそのはず。私は荷物が半端なく多い。財布、携帯、カメラ、ポーチ、ペットボトル、電子辞書、パソコン、本が数冊、その他細々。

普段からこれだけの荷物を持ち歩いている私だ。バッグは革と布の二個持ちが基本。
このシャネルのバッグは、もう一つの持ち歩かなくてはいけない袋に、恐ろしいくらい似合わない。どちらも持つと、ただのホームレスだ。もしくは、買った物を持たされている、付き人かパシリみたいなのだ。前を歩くボスがいないから余計におかしい。

可哀そうな小学生にも見えた。ジャンケンに負けて、クラスメイトのランドセルを次の電柱までとの約束で持ったのに、皆が先に帰ってしまい「重いよ」と今にも泣きそうな子ども。それから、7月20日の計画性のない児童。
それはそれで面白いのだけれど、私にそれほどの遊び心はない。買ったらきっと、後悔していた。買わ
なくてよかった。

何せ危ないところだったのよ。

カラー・パープル

時間がぐんと減ったため、読む本の数もぐんと減ってしまった。
今はそういう時期なんだと、どうにか乗り切る以外、道は残されていない。去年までが時間に余裕のある毎日を送り過ぎていたんだ。きっと。

週休二日(も、最近はないかもしれないが)が普通なのだから。世間では。

こんなもんだよ!こんなもんだよ。こんな・・・・・・ああ、いけねえ。どんどん消極的になってくる。
いつも送りの車で一番後回しになるものだから、気持ち悪くなってしまい、こんな風にパソコンにむかう気力がないんだよな。それなのに――今日だって同じように長時間車に揺られてきたというのに――今の私はやたらと元気だ。おっかしいなぁ。

おっかしいけれど、気力が残っているので、久々に最近読んでいる本のことでも書くか。
同じことを繰り返すようで悪いけれど、今年に入って読書時間が減った。そのため、去年のように手当たり次第乱読・・・・・・というわけにはいかないが、厳選したものを限られた時間の中で読むのも悪くないと思うようになった(思うようにしているのかもな)。

読書ができるってことが有り難くって有り難くって。手に伝わる紙の感触=幸せの感触・・・・・・のようになりつつある。

久々に元気なので、ついだらだら書いてしまいそうになるな。いかん。本題に入らなければ。
そんな(?)わけで、今読んでいる本は『カラー・パープル』という、おそらく有名な作品で、今年中に制覇しようと思っている、「20世紀最も影響を与えた本ベスト100+45アメリカ・ニューヨーク公立図書館選」の中の一冊なのだ。
が、私が「お気に入り」登録しているこのリストの信憑性は、調べていないので、いまいちはっきりしない。

『カラー・パープル』の話に戻る。この作品は主人公の黒人の女の子から神様に宛てた手紙、といった形式で書き進められている。

この物語の主人公は、非常に壮絶な人生を歩んできた。幼い頃から、父親の性的虐待を受け、母親は彼女に呪いの言葉を吐きながら死んで行き、幼い妹の変わりに暴力的なロクデナシと結婚までした。
どうです?私程度の者が書いたあらすじだと、単なる田舎のヤンキー少女の半生みたいになりませんか?
もしくは、二昔前の大人向けドロドロコミックのあらすじみたいな・・・・・・。
実際に読んでみたら、そんな安っぽいものではありませんのでご安心を。

しかし、あれだな。
ドロドロコミックっぽいストーリー説明になってしまうのは、私がそういうコミックを読むように楽しみながらこの作品を読んでいるせいもあるだろう。

正しい読み方なんてないだろうが、一般的な読み方はおそらく、人種や性などから差別を受け、虐げられてきた人たちを、こうしている間にも、自分と同じ人間が悲惨な現実と必死に戦っている人達に目を向けてみる。そういったものではないだろうか。

しかし私は、ドロドロ系レディコミ大好きな、底意地の悪い主婦のように、奥にある者を読み取ったり、作品から何かを学んだり考えさせられたりするのではなく、純粋に楽しいから読んでいる。
他人の苦労は蜜の味・・・・・・なのだよ。自分で自分が情けなくなるわよ。
「おおっ!一緒に暮らし始めた夫の元恋人とレズビアンに!」とか、「夫が隠した妹からの手紙を発見しちまった。どうなる?」とか、さ。

まだ途中までしか読んでいないが、ストレートに面白いわ。
こうなったらレズビアン相手の小悪魔的魅力を持つ歌手と「実は姉妹だった」とか、そんな展開になってほしい。

さあ、続きを読むか。

あーと

おかまの日だった昨日、ミサイルに怯えながらも、秋葉原まで現代アートを観に行ってきた。

久々にもんのすごく興奮した。早速影響されて何かしら描いたり作ったりしたくなったもの。
アキバ・スクエアで催されている「101 TOKYO Contemporary Art Fair2009」というコンテンポラリーアートの祭典。5日が最終日なので、興味を持たれた方は是非足を運んでみていただきたい。かな~り、刺激的です。

詳しくはhttp://101tokyo.comまで。
まるで回し者かのような私だわ。それより自分の宣伝しろよな。まったく。

だって相当刺激を受けたんだもの。馬鹿のように「ほおお・・・・・・」と言っていたわよ。
画像のCDは何と全て手描きなんだから。表ジャケットは勿論のこと、裏面のバーコードやちょっとした注意書き、製造元までぜーんぶ手書き。そのうえ、中身のCDはアーティストさんがアカペラで歌っていらっしゃる。

本気で欲しかったが、ばら売りはしておらず、25枚+プレイヤー付きで300万円以上の値が・・・・・・。
茶魔だったら完璧に買っておりました。こんな時はたまらなく裕福になりたい。
今一番欲しいものになってしまったもの。人知れずかなり本気で熱をあげているのだよ。

しかし、買えん、買えん、買えん!!!くやしい!!!!!あまりに欲しくて眠れない。
いっそもう自分で作ってみようかしら。独創性は0だが、欲しいんだもの。

が、そんな技術、私にゃありません。せめて、わくわくさんくらい器用になりたい。
物欲だけではなく、創作意欲もみなぎっている。

ペット用の着ぐるみを着せた剥製の後ろにファスナー(のようなもの)をつけて、その中に邪悪なまでに可愛く健全な顔をしたぬいぐるみでも入れてみるか。いや、剥製は手に入りにくいから、きつねの襟巻でもいいや・・・・・・よくない。

ファスナーで思い出したが、背中にファスナーのタトゥーが入った人に会ってみたい。
あとは、絶対に欲しくはないが、忍者のように人間の髪の毛で――しかも、カラフルに染めて――縄を作って、それでさらにハンモックを作ってみたい。過程が楽しそうなんだもの。
あとは、無難に点画の指紋バージョンが見てみたい。しかも一人ではなく、数千、数万人の指紋で。
それから私、だまし絵も好きなんだよな。部屋がまるごとだまし絵で出来た学校とかデパートに行ってみたい。

あとは、コンビニや大手ドラッグストアなどの袋そっくりのエコバック!
今季のシャネルであそこのショッピングバックにそっくりな革の鞄が出ているはずだが、高すぎて買えない。

あ、しまった。新たな物欲が・・・・・・。
ふと思った。私って時間にルーズなほうだっけ?そうでもなかったっけ?

自分じゃよくわからないが、ややルーズ気味なのではないだろうか。好ましいことではないが、待ち合わせに12~15分遅れることが多々ある。

ものすごーくルーズな人は30分以上遅れるのが当たり前だったりするので、私などは、やはりややルーズくらいなのだろう。

しかし、人生の早い段階で仲良くなった人が物凄い遅刻魔だった私にとって、仕事に関係のない待ち合わせに時間通りに行っては馬鹿を見る・・・・・・というのが刷り込まれてしまっている。忘れもしない。そのEちゃん(仮名)の平均遅刻時間は1時間半。悪い時は3時間。40分だと「よくやった!」なのだから。

極寒の1月2月に、外で2時間以上待たされた記憶が頭をよぎる。

Eちゃんと遊ぶようになってある程度の時がたつと、私はようやく外で待ち合わせることのばかばかしさに気が付き、それからは彼女の家で待ち合わせることにしていた。
とにもかくにも、そんな苦い思い出を持つ私は、何度も言うようだが、待ち合わせに時間通りに出向くのは無駄な行動だ、と思っていた。熱を出して苦しんだ過去を繰り返したくはない・・・・・・。

おかげで私はやや時間にルーズな大人に成長してしまった。これはよくない。どうにかしなくては。
他人を待つのも楽しいものではないが、他人が待っている場所へ急いで向かうのは、それ以上に楽しくない。

当然のことなのかもしれないが、やっぱり不思議なもので、同じ15分間でも、他人を待っている時と、他人を待たせている時では、時間の過ぎかたが全然違う。
前者では時間というものが、おっそろしく間のびして、スローモーション以上にゆっくりと過ぎて行くし、後者は大袈裟ではなく普段の倍近くのスピードで通り過ぎる。

おかしなものだ。立場によって同じはずの時が別の速度で過ぎて行くなんて。
私にとってそうなのだから、他の人にも同じことなのだろう。そう思って周りを見ると、新たな発見がある。

たとえば、時計を気にしながら誰かと待ち合わせをしているらしい、隣のサラリーマン。待っている相手とはどんな間柄なのか。友達か、先輩か、仕事関係の人間か?
少し苛立っている様子の彼。きっと、まわりを流れるのろまな時間が一層彼の神経をいらつかせているに違いない。

彼が待っている相手は、彼を待たせている人間だ。

その人間にとって、その人と彼の共有している時間は、せかせかと余裕のないものに感じられるのだろう。

同じ時を、彼らとは関係のない場所で過ごしている私にとって、今、この時間はごく当たり前のスピードで流れている。

うまく表現できない。しかし不思議で仕方無いのだ。今まで考えてみなかったことまでも不思議だ。
私が誰かを待っていらいらしていたり、逆に待たせて焦っていたあの時も、関係のない人間にとっては、時間は通常通りのスピードで流れていたんだ。

こんな風にも考えられるな。

私が何かを待っていたあの時、「早く時間がすぎねーかな」とぼやいていたあの時、世界のどこかでは余命幾許もない人が、残りわずかとなった貴重な時間を1秒1秒、噛み締めるようにして生きていたのか。

何だか申し訳ない。

ついでに、こうやって私が無報酬の下らないことを書いている間に、そう遠くない場所で、高名な誰かが、パソコンの同じような機能を使って目の飛び出るような金額に化ける文章を書いたりもしているんだろうなぁ。

本っ当に、人それぞれだよ。まったく。

スウィーツエンジェルス

はじめに断っておくが、私はサブ・カルチャー好きな人間ではない。あまりにいろいろな人にそう思われているらしいので、ここではっきり申し上げておく。

何もマイナーな文化が好きなのではない。古い文化が好きなのだ。だが、考えたらそれがマイナーってことなのか?メイン・カルチャーから遠ざかった人間ということなのか?
自分ではそんなつもりはないのに。だって、インタビューなどでさんざん主張していることなのだが、私の好きな歌手は松田聖子さんで、好きな女優はマリリン・モンローとエリザベス・テイラー。好きな映画監督はヒッチコックで好きな漫画家は(原作者だけれど)梶原一騎さんなんだから。まさにメジャー中のメジャー。メイン中のメイン。昔の人にとってはな。

したがって私はサブ・カルチャー好きでもないし、ましてそちらの方面に精通してなんていないんだから!自分ではそう思っているんだから!

しかしだ。そうは言ってみたものの、そっち方面のものに並々ならぬ興味を持ってしまう事実も否定できない。

最近だと、ジェニーちゃんの人形劇なんかが印象深い。ストーリーも台詞も、どーしようもなくって、真剣に観ずともただDVDをつけているだけで、時々目やに耳に入り込んでくる救いようのないくだらなさに、私の体は一切のやる気だとか気力だとかを抜かれてしまう。
話としては『チャーリーズ・エンジェル』と『ヤッターマン』を足して二で割って五十倍に薄めたような感じだ。

ジェニー(あのジェニーちゃんです)、アキラ(こいつはオナベ)、なでしこ(叶美香さん似)普段はかわいい女学生なのだが彼女達にはもう一つの顔があった。この世からオシャレとスウィーツをなくすために結成した悪の組織エイブランと戦うため、オーディションで選ばれた「スウィーツエンジェルス」なのだ。
オシャレは必要だがスウィーツだけをなくす悪の組織ってことなら私も入りたい。いらないよ、スウィーツなんて。単に「甘いもの」でいいじゃないか。

そう言えばエイブランのリーダー、シスターBはドロンジョ様に似ている。ちなみにあれのコスチュームが¥13000で売っていたので買おうかどうか凄く迷っている。
話を戻す。途中、エイブランが開発したロボット「イタズラン」と戦うのだが、イタズランの攻撃が低俗すぎて泣けてくる。ジェニーの顔面に屁をかけるのだから。言っておくがこれ、女の子向けですからね。まあ、ちょっといい気味だけれどね。

このDVD、内容も驚きだがもっとびっくりさせられるのが、収録時間たった二十五分のくせして通常と同じレンタル料金だということ。『風と共に去りぬ』や『ラスト・エンペラー』などの長~い大作と同じ料金を取られるのだ。やたらと強気だよな。

ゲテモノ

いわゆるゲテモノというやつを食べに行ってきた。場所は有名な新宿しょんべん横丁。念願叶って浮かれ気分の私は、あの細い路地をハイヒールで闊歩してきましたわ。

今回選んだお店は〈朝起〉読みは「あさだち」だ。店名からしてすごいだろう。あ、これって自慢げな言い方だよな。何を今さら!有名なお店でないの!と思われるかもしれないのに。
でもさ、私はてんで外食なんてしないものだから、んなこと知らない訳ですよ。ん~?文章が変だな。まあいい。馬鹿物のブログですから。こんなもん、こんなもん。

ゲテモノのひとつ食ったこともないひよっこのブログですから(こうしてかなり無理をしながら話を戻す努力をしてみた)。

さあ、そういうことで、ゲテモノを食べてきたわけですが・・・・・・。
馬だか牛の金玉と子宮、それからサンショウウオ(天然記念物じゃないほう)、を試してみた。金玉と子宮は刺身だった。非常にあっさり、さっぱりとした味付けで、臭みも一切なく、きちんと(と言ったらおかしいが)美味しいものだった。まあ、今まで食べたもののなかで1、2を争う味か、と言われたら答えに迷うだろうが、安居酒屋で出てくるイカの刺身なんかよりは何倍も美味しかった。食感は焼き肉で言ったらハラミとタンのちょうど中間くらい。子宮のほうはレバーとキノコ(焼き肉じゃないが)の中間くらい。ちゅるんとしている。

サンショウウオは・・・・・・。う~ん・・・・・・何と言ったらいいのやら。味といい食感といい、別に美味しいとは思わなかったね。私個人の意見だけれど。

確かにサンショウに近い香りと後味がする。サンショウをとっても漢方薬っぽくした感じとでも言うのだろうか。食感はバサバサしていて柔らかくはないのだが、歯ごたえが頼りない。見た目も頼りない。串刺しにされた姿は何ともなさけない。

体には他の食べ物(油揚げとか糸蒟蒻とか)よりは良さそうだが、だったら漢方薬を呑んだほうがいいのではないか、と私は思ってしまった。

是非また食べたいが、金玉と子宮でいいや。カエルも気になっていたのだが、「冬眠してるんだよねー」だとさ。店員さんが言っておりました。

いつか実家住まいの友達に電話をかけて「ぬま子ちゃんいますか?」と訊いたら「ああ、今お風呂入ってるんだわ」とお兄ちゃんが答えた時を思い出してしまった。まあ、ぬま子なんて友達はいないが。
私は敬語の使えない店員なんて、たいして混んでもいないのに座席を上げている山手線と同じくらい嫌いなのだが、あそこまで徹底されると小気味よかった。ドアを開けるなり「いらっしゃーい。何にする?金玉?」だもん。食事はバケツリレーみたいに客同士の手渡しで運ぶし。

極めつけが壁に飾ってあるポスターだ。馬の交尾。それも無修正。何て健康的なのかしら。ここに載せたもの以外にもう一枚あり、それは調教師の方かなにかがメスのほうの尾を持ち上げてやって挿入の邪魔にならないようにしているのだ。馬よ。交尾さえも人間の手を借りないとできなくなってしまったか。

ちょっと悲しいよ。
最近よく見かける血液型「自分の説明書」という本。あまりにもどこでも売っているので毛嫌いしていたが、スタジオにあったので読んでみた。本屋では立ち読みすらする気にならないからな。
全種類読んだが(ちなみに私はО型)どれでも多少は当てはまるし、どれでも完璧には当てはまらない。

しいて言えば『B型自分の説明書』が一番当てはまったかな。
腹が立ったら物にあたる。投げる、とか。しかも壊れない物限定。コップなどの場合はわざわざ二重にかさねたビニール袋に入れるもんな。あとは、語り草になるあり得ない実話の持ち主、人物事典に載りたい、シャープ・ペンシルの芯を出す時三回はかちっとやる。一回しかやらない人は気になる。それからよく蚊にさされる、とか。だが、これは『O型自分の説明書』にも書いてあった。というか、同じようなことがニュアンスを変えてどの本にも載っている。まあ、こういうものさ。

当てはまる、当てはまらないの話はこのくらいにしておく。私がこの本に言いたいことは内容云々ではなく、文章の今時感である。なんだかカンにさわるのだ。

■価値あるモノに価値をつけない。
出たよ。片仮名で「モノ」だよ。嫌いなんだよ。この言い方。

■頼られるとものすごくガンバル。も嫌だ。片仮名にしないでくれーっ!

■「言いたいこと」言えないんじゃない。言わないんだ。

■「エ―っ!知らないの?」みたいな過剰反応とかヤダ。

私もヤダ。その片仮名と今時の人の喋り言葉風の文章が。読みにくいのだ。「言いたいこと――」は以前流行った路上などに色紙にある種の方の心にはぐさっとくるお言葉(おえってなるほど前向きで、それでいて自信のない人が開き直ったような、頑張れ!と頑張らなくていいんだよ。を押し売りしてくるかのような、私の神経を逆なでするお言葉)みたいだ。

■大切な人を大切にしない。

■くせに、どーでもいい人に気を遣いすぎる。

お願いします。変なところで区切ったりつなげたりしないでください。この本の著者の方のほうが私なんかより、よっぽど人前に出しても恥ずかしくない文章が書けることはわかります。今時の若者の感覚に合わせてこうなったのでしょう。見上げたプロ根性です。頭が下がります。
けれども・・・・・・・かゆい。かゆい。かゆいのだ。上唇の裏や鼻尖がむずむずする。それに独特の若者言葉がうつってきた気もする。もうこれ以上深入りは止めたほうが得策だな。

あ、ここから全然違う話なのだが、さっきTVを観ていたら男児(3つかそこら)の入浴シーンに「ぼかし」が入っていてびっくりした。少し前までは「ちんちんぷらぷら」が当たり前だったのに。時代が時代だからなあ。今はおむつのCMでもちんちんは映さないのかなあ。女児の乳首もだめになりそうだ。天使の絵とかも。

かえっていやらしいと思うのだけれど・・・・・・

英会話

昨日から英会話教室に通い始めた。本当に笑っちゃうような話だが、マル子が花輪クンに教わった程度の英語を習ってきた。先生はアメリカ人でもイギリス人でもなくポルトガル人なのだが、人に話すと「だまされている」なんて言われてしまう。そんなことないと私は思っているのだけれどな。入会金だってかからなかったし、教材だって買わされていないし。しかし私はだまされにくいほうでは決してないので、断言はできない。思っているだけなのだ。まさしく。

騙されているうんぬんはひとまず置いておいて、先生は授業の途中で「遊び」を入れるのだが、その遊びというのが何とも言い難いものなのだ。

自分からは喋れないが相手の言っていることはだいたいわかっているので(その程度の会話しかしていないので)受け答えにとっても困った。

だって、考えてもみてほしい。いきなり「こうしましょう。たとえば、今からあなたはヒカリ・ウタダです」と言われる。ヒカリ・ウタダの住所や職業は勝手に決めていいみたいだ。

私がまごついているのにも構わず先生は「what's your nome?]と満面の笑み。
もたもたしていたら「やりなおしましょう」と言われ再び「what's your name?]
仕方なく私は、ご丁寧に彼女のおっしゃる通りに「マイネームイズヒカリ・ウタダ」と言った。堅気の名前じゃない。一作品だけ出してすぐ改名したAV女優のよう。まあ、実際堅気じゃないし、いいのだけれどね。

そしてそれから約五分、私はヒカリ・ウタダとして生きた。彼女は中野区に住んでいて、生まれはイングランドで、電話番号は0120-555-555だ。0120-333-906にしようかとも思ったがやめにしておいた。

先生は熱心にメモをとり、オーバーなリアクションをかえしてきた。私はふっきれないままヒカリ・ウタダでいたが、内心「もうこりごりだ」と思った。早く通常の授業に戻してほしかった。
やっとヒカリ・ウタダでいる義務から解放された時はつっかえがとれたみたいにすっきり爽快だった。

来週は誰の役をやらされるのだろう。アユミ・ヤマザキか、タクロー・アソウか、ヒデオ・マツイか。

授業内容は非常にわかりやすく、ポルトガル人の講師もサポートしてくださる日本人スタッフの方も優しい。それは良いのだが、「遊び」はしつこいようだがこりごりです。

なんて言いながらも、アユミやタクローやヒデオのプロフィールをヒカリ・ウタダとの時よりさらにつっこんで訊かれるだろうと、心の半分では構えている。
だが、それも無駄なことかもな。私は自分で断れるようになるまで、彼女の前でヒカリ・ウタダとを演じ続けなくてはならないのかもしれない。それが彼女なりの、もしくはスクールなりのスパルタ教育である可能性だって十二分に考えられるのだから。

嫌いになれなくて

ビジネス・クラスだのファースト・クラスだの、そんな贅沢なものとは縁がなかったので、これはあくまでエコノミーしか知らない人間の意見なのだが、メジャーな乗り物の中では、飛行機って最も自由を規制されるものなんじゃないかと思う。

まず、狭い。脚を伸ばせない。これは自動車でも新幹線でも同じなのだが、あれらのほうが隣の人との距離が飛行機ほど近くない分まだマシだ。
狭いことが一番きついが、まあ、それはしょうがないといえばしょうがない。安いんだし。
それから、これも誰もが言うことだが、機内食がまずい。個人的に大韓航空のビビンバ(パ)は美味しいと思うのだが、あれが例えば料理屋のものだったら中の下レベルだ。松屋のビビンバ丼のほうが米が美味しい分上だ。

つまり、大韓航空にしたって「機内食のわりには美味しいよね」という程度であり、他の航空会社のものにいたっては論外だ。有料でいいから他のメニューも出してくれよ、と思っているのは私だけではない。これは確信を持って言える。

だいたい私はミックス・ベジタブルが嫌いなのだ。あれがあるせいでグリン・ピースは過小評価されている野菜なのでは・・・・・・とさえ思えるほどだ。だって莢豌豆はどう考えてもまずくない。スナック菓子の「とれたて、とれたて」のものだって、まずくない。

豌豆の話になってしまったが、もう一度飛行機の話に戻る。

狭さ、食事のまずさ意外にも飛行機への不満は尽きない。
はじめにも書いたように、この上なく自由を制限される。旅慣れた人ならまだ良いが、私みたいな者には本気できつい。

例えば、成田~LAX行きのN航空に乗るとしよう。離陸するまでも長いし、離陸して落ち着けるまではそれ以上に長い。

いつも思うのだが、救命胴衣の説明って大切なことなのに「聞いてください」というムードがない。同じアナウンスならば免税品の販売のほうが力を入れている気がしてならない。
なんだかんだあって、やっとシート・ベルト着用のサインが消えるが、その後すぐに機内食を持ってこないのも気に食わない。

飲み物やら変なお菓子を配られて、こちとら喉が渇いているものだから水をがぶ飲みしてしまい、トイレに行きたくなる。そんな時に限ってシート・ベルト着用のサインが点くのだから、ため息の一つもつきたくなるし、舌打ちの二つくらいはしたくなる。ブランケットがもう一枚欲しくなった時もよく同じ目にあう気がする。

で、やっぱり同じような人が多いらしく、やっとサインが消え「いざトイレへ!」と意気込むと、もう満室だったりする。誰もが来たる機内食の時間に備えているのだろう。
どうにかトイレを済ませ、不味い機内食を食べ終わり、「さて、そろそろ寝るか」という時にまたコーヒーやら水やら記入すべきものやらが次から次へとやってくる。
「まだ寝るところじゃありません」と言われている気がする。そして、実際に眠れない。
しばらくすると電気が消え、幼稚園の「おひるねタイム」のごとく強制的に睡眠を強いられる。そこで私はさっきコーヒーを飲んでしまったことを激しく後悔するはめになる。

映画も観る気にならず、読書でもしようとライトを点けるのだが、本気で明るい。コーヒーとの相乗効果で益々眠気がさえぎられてしまう。
「さあ寝よう」と思ってもすぐには眠れない人間だっているのだ。私のように。「とりあえず寝ようとしてみよう」と思えない人間だっているのだ!

しかし、当たり前だけれど、そんな奴の言うことなんかに誰も聞く耳持っちゃいない。
あの「おひるねタイム」モードになってしまうと、物音立てるのも気まずいし、ライトを点けているのも場違いに思えてくる。

なんて文句を言いながら、結局浅い浅い眠りにならいつもたどり着けるのだけれど、決まって揺り起こされるはめになる。文字通り機体が揺れるせいで目が覚める。
そうなったら最後、もう眠れない。むしろその時が眠りのピークだとしても、また飲み物やら何かが登場し、電気が点き、機内は起きろモード一色となる。

起きた時の体中の痛さと言ったら!やっぱり狭いのが何より困る。
あの、ポケットのような場所に大量に入っているカタログや雑誌を少し減らせばもう少し広く感じるんじゃないかなあ。

それから後は眠る前とほぼ同じ。働いてもいないのに重労働後なんて目じゃないくらいに疲れる。
こうして書き出してみると、トイレだとか眠れないだとか、けっこう自業自得の部分も多いんだよな。集団生活のルールを守るのがどうしても辛いという人には、やっぱり飛行機も辛い。
そして、計画性のない馬鹿者にも同じく辛い。そのどちらも併せ持つ私には著しく辛い。

そんな飛行機だが、どういうわけか嫌いにはなれない。

後に待っている「いつもと違う土地」が(どこであっても)激しく魅力的なのだろう。

呪いのファーコート

L.Aで当初の予想よりも買い物をしてきた。値段は下回ったが、量は上回った。靴なんて、「あんた大丈夫?」って値段で売っていた。ちょうどセール期間中だったのだ。特にバーニーズ・ニューヨークとフレッド・シーガルが恐ろしく安くてただただびっくり。以前から欲しかったステラ・マッカートニーのニーハイブーツが日本の5分の1以下の値段で買えた。別にポール・マッカートニーのファンではありません。あしからず。

画像はバーニーズ・ニューヨーク。クロエにクリスチャン・ルブタン・マノロ・ブラニクにセルジオ・ロッシ、マルニにジュゼッぺ・ザノッティ。みーんな300ドルするかしないか。売り場は散らかり放題。お客は裸足でうろうろ。見てください、この散らかりぶり。私の家並みだ。散乱しているものが高級ブランド品とは思えん。

ミンクだかセーブルだかのコートも買ってしまった。といっても30年以上前の古着で200ドルちょいなのだけれど。今年はコートが買えなさそうだったので、いい買い物をしたわ。
獣臭いのが難点だけれど、この値段なら文句も言えまい。

あ、もう1つ難点があった。何と言うか、怨念がこもっていそうなんだよなあ。犠牲になった動物のもそうなのだが、このコートの場合、前に着ていた人の影がすごく濃いのだ。
ネームが刺繍されているので判明したのだが、以前の持ち主はどうやらヴィクトリアさんらしい(フルネームがあるのだが読めない)。おそらく身長は私と同じくらいでもう少し太め。つまりわりとデブ。
こだわりの強い性格らしく、内ポケットの手を入れる部分の形がヴィクトリアのⅤになっているのだ。血液などは付着していないのだが、それでも歴史を感じる裏地の模様や飾りポケットなどが、ヴィクトリアの波乱万丈そうな(勝手に決めている)人生を、最後まで見届けたのか?などといろいろ想像してしまう。

手放した経緯も気になるところだ。死か?あげたのか?売りに出したのか?
セーブル、ミンク、いずれにしても値段が安すぎたので何かしらいわくがついていそうだ。私の想像では、若い頃はきれいだった未亡人ヴィクトリア(イギリス人、当時30代後半)は旅先である芸術家志望の若い男性(できればフランス人)に恋をして、ずるずるとした仲になるが、男性に婚約者がいることを知り、ホテルの部屋で彼を殺し、自らも命を絶った。ソファの上でこのコートとシャンパン・グラスは全てを見ていたのだ。

それ以来これを手にした女は次々と不可解な死をとげる。ある者は難病にかかり、ある者は事故に、ある者は他殺される。私は階段から落ちる気がするなあ。

急患

いやあ、まいったまいった。この時期に高熱を出して寝込むとは・・・・・・。
どうせいつもの扁桃腺の腫れからくる熱だろう、とたかをくくっていたのだが、どうにもこうにも治らない。熱が下がってもすぐにぶりかえす。
もしやこれは流行りのインフルエンザか?

ということで、昨日の夜中、ついに病院に行ってきた。熱は38度5分。きつかったわ。1時過ぎだというのに、老若男女問わず、患者さんっているものなのね。明らかに座られることを拒否しているかのような、かた~い椅子で、40分以上は待たされた。

しかし、救急病院って何てドラマティックなんでしょう。私のいた場所は自分で受付する気力もあるくらいの人達だけだったので、地味な分リアリティがあった。ピーポーピーポー、バタンッ、ダダダダッ。っていうのとはわけが違う。

DVカップルの登場にまずびっくり。違うかもしれないが、おそらくそう。ヤンキー系の男女で、女は顔を腫らし、傷をつくり、ぼろぼろに泣いている。男はあたふた困り果て・・・・・・。何が原因か知りませんが、あの光景を見せられちゃうと暴力はいけませんな、としか言えん。謎の出血男も非常に気になった。頬が深くえぐられ、タオルで押さえてもとめどなく溢れ出る血。事故か、喧嘩か?ちらっと見えた財布に並ぶすごそうなカード達も気になる要因だった。

私は悪趣味ながら考えた。あの傷は素手で殴られてできたものではない。だとしたらバイクか何かで事故ったのか?いやいや、彼はコートも手袋もなしのスーツ姿。バイクには乗らんだろう。だとしたら車か?しかし、どうやって事故に遭えば車に乗っていてあんな傷が出来る?ただ転んだにしては洋服にほこりひとつついていないのは変だ。
何か鋭利な物で切り付けられたか?だが、あの傷はえぐり取られたって感じだった。うーむ。
考えているうちに、私より後から来た彼は私より早く診察室に消えていた。大量の血痕を残して。そうこうするうちに私も呼ばれた。鼻に麺棒つっこまれたり、血を抜かれたりしてきた。あまりにもいろいろ検査されたので「謎の病気では」と結果が出るまで気が気でなかった。

それでまあ、とりあえず検査の結果が出て、インフルエンザでも謎の病気でもなく、ただの風邪だってことが判明し、体も少し楽になったような。ほっとした気分でタクシーに乗り込んだ。が、運転手さんがおしゃべりでまいった。以前の私なら無視していたところだが、最近はタクシーの運転手さんの話には拾えそうなネタがたまにあることに気が付いたので、昨日もかなりつらかったが我慢して聞いていた。私も体調が良くなってくると「都内で事故が多いのってどのあたりなんですか?」なんて聞いたもんだから、運転手さんの喋り魂に火がついてしまったようだ。数分のうちに事故多発地帯、覆面パトカー多発地帯、タクシー運転手としての心構え、将来の夢などを、べらべらべらべらべらべらべらべら・・・・・・話しまくった。

確かに参考になる話もあることはあった。しかし、今だから言いますが、運転手さん、あの「告白」はいかがなものかと。本気で怖いと思いましたからねえ。
「告白」と言っても愛の告白なんかじゃありませんよ。話が途切れた後、彼はいきなりこう切り出した。

「お客さん。実はあたし・・・・・・」私は続きを聞くために身構えたよ。運転手は続けた。「実はあたし、事故ったことがあるんですよ。居眠り運転ってやつですね。今日と同じ曜日、同じくらいの時間帯でしてね。あたしんとこじゃ5時までしか働けないものでして、今の時間っていうのはどうしても気が緩むんですよ。あの時も、前日一睡もしないで会社のコンペに出席しましてね、あたしは信用されているドライバーだったから、その後の仕事も許可してもらえたんですよ。しかし、さすがに眠くって・・・・・・。ああ、これじゃいけないと思ったんですが、気がついたら前の車にガッシャンですよ」

それからというものの、彼は8時間睡眠を徹底しているらしいが・・・・・・。ただでさえ寒気がするのに鳥肌立ったよ。「あたし、ナルコレプシーで・・・・・・」と言われるよりは怖くないが、以前乗ったワンカップ大関の空き瓶を堂々と車内に置いている酒臭い運ちゃんの次くらいにぞっとした。

もっとぞっとしたのは、完全に火の消えていない煙草を車の窓からぽい捨てしていたパトカー。悪いが一生話のタネにさせてもらいます。

絵の女

最近知ったのだが、ある種の女がスウィーツと呼ばれているらしい。本当にぴったりの名だ。以前から私と友人の間では、巷のスウィーツ女は「甘いブス」と呼ばれていた。それほどブスでなくても―ーむしろ私なんぞより100000倍可愛くても―ー「ブス」なのだ。

「甘いブス」の他には、茶系を好み、アジア雑貨が好きそうで、スタイルが良く見えない服をわざわざ選んでいそうな「みゆき」、これは随分前だが、美容師や専門学校生に多そうなモード系、黒人ミュージシャンに憧れていて、それだけなら特にあだ名をつけるほどでもないのだが、話をしてみると、こちらが年下なのをいい事にやたらと説教臭く、100回は聞いたアドバイスをして、武勇伝や自分の生き方を熱く語り、やたらと「リスペクト(発音悪い)」と「葛藤(たぶん知っている中でも難しい(?)言葉の一つ」を連発する「音楽ばか」、などがいる。

まあ、これらはどれも着ることを選択した洋服を見て、浅く浅くかかわり、その上で何となく使い始めたあだ名なので、今日これからお話したい「絵の女」とは別物である。

「絵の女」とは、最近見かけないけれど、某原宿駅の某オッシュマンズの前辺りや、某渋谷の某ロフトの近くの路上に立って仕事をしているお姉ちゃん達のことである。
業務内容がギャラリーの客引きなので、私達はこのように名づけた。彼女達への興味はほとんど絶滅した今も尽きない。

「絵の女」の特徴。まず、私の定義での不倫顔(どういう顔かはブログの他の記事を読めばわかります)。元ヤン、水商売、そんな雰囲気が漂う。髪が長くて歯がインプラントっぽい。あ、これは私のことだね。

デブはいない。スタイルはまあ、悪くはない。顔立ちもまあいい。滅多なことでは女には話しかけない。彼女達のターゲットは私が観察したり、周囲に話を聞く限り、気の弱そうな独身男性。はっきりいってしまえば見るからにオタクな人だ。

普段はかったるそうにしているけれど、ターゲットを見つけるなり、女モード全開の顔つき、態度になり、オタクの人にすり寄るかのように近づいて行く。しばらく話してみて、男もまんざらでなさそうな場合、2人で消える。行先はおそらくギャラリーであろう。
どんな絵が売っているのか、激しく気になる。

画像の私は一応コスプレをしている。かなりそれっぽい(この記事を投稿した当時は画像がありました。1月27日現在はありません)。顔立ちがあまり絵の女っぽくないので遠目から撮って正解だ。
きっちりしたメイクとハイヒール、出した脚とダウンやベンチコートがミスマッチなところが「絵の女」なのだ。逆に、上着のいらない時期はどうしているのか、私は知らない。

そうだ。夏場、仕事している彼女達を見たことがない。今まで気がつかなかった。だから、「絵の女」コスプレは防寒着ありなのだ。なぜ寒い時期にしかいない?いても私が気付いていないだけ?そして、防
寒着の下はどんな格好?

やっぱり気になる存在だ。ちょっとやっってみたいよ「絵の女」。

むーど

そりゃあ、ムードってものが大切だというくらい私にもわかっている。

四季折々の楽しみに、行事に、充実した毎日のために、ムードを作り出してくれている世の中にありがたみを感じる。
夏だ!怪談だ!冬だ!鍋ものだ! 悪くない。いいんじゃない?

しかしだ。ハロウィンにしろクリスマスにしろ、何週間も前から(下手すれば一か月以上前から)いたるところがあれらイベント事のムードに塗り替えられる風潮にはいささか疑問を感じている。
もうすぐハロウィンね、クリスマスね、そう思うのはいいが、3週間前も「もうすぐ」、1週間前も「もうすぐ」、前日にも「もうすぐ」、そして、肝心の当日になっても「もうすぐ」だと思ってしまう。
大みそかにしたって、12月に入ればもう「年末だなあ」と思い、そのムードに若干は流されることもある。それなのに、いざ31日の夕方とかになって「今日デパート閉まるの早いのかよ。何でさ?ああ、大みそかだからか。忘れていたよ」と、ほとんど毎年のように思う。

迫り来る選挙にしたってそうだ。私は日本人のくせに米大統領選に並々ならぬ興味を持っていて(はっきり言ってオリンピックにはその10%の関心もなかった)、「ああ、待ち遠しい!」とずっとずっとずーっと思っていたが、3日の夕方になって「は?明日かよ」と思ったものだ。
まあ、選挙は事前に盛り上げなけりゃならないからかまわないのだが、ハロウィンやクリスマスや年末、桜前線、このあたりはもう少し控え目でも良いのでは?と思う。当然、人々の財布の紐をゆるめるためだということは承知している。でも、何だかなあ・・・・・・。

ところで、誕生日とクリスマスが近い(もしくは同じ日)だから、プレゼントが1つしかもらえないから損だ、と言っている人は多い。私の友達もそうだった。

が、彼らはまだいい。1つしかもらえないかわりに、その1つが普通の子どもより豪華なのだから。
気の毒なのはバレンタイン・デー生まれの男子である。私の親戚がそうだ。
彼は親からもらう誕生日プレゼントが毎年チョコレートだったそうだ。大人になった今、娘からも妻からもやはり、もらうプレゼントはチョコレートらしい。

それには同情する。

くるみを食べるリス―!!

最近「夢日記」を付け忘れていたのだが、今日見た夢はあまりにもインパクトが強かったので、書き残しておいた。珍しく一本立てだ。

よくあるパターンなのだが、自分の意識はあるのに、自分は出てこない。変なおっさんに意識のみが乗り移っている。
私はどうやらえらい人。みんなが私にへつらい、媚を売る。頭を下げられて悪い気分はしない。私も軽く咳払いをしたりと、えらい人らしく振る舞う。
鏡を見たわけではないが、自分が乗り移ったおっさんの外見を知っている。30代後半で、短髪をかなりの量の整髪料を使ってはね上げさせている。ストライプのスーツに赤ブチ眼鏡。その下の目はぱっちり。中肉中背。肌はやや黒く、ゴルフが趣味。他人に食事をおごるのは大好きだが、物をあげるのは大嫌い。理由は会社の経費が落ちないから。

そんな私はどうやらテレビ局か、芸能プロダクションのえらい人らしい。
だって私にぺこぺこするのは、みんな若手のコメディアン。いろいろいる。ピン、コンビ、トリオ、太いの、細いの、大きいの、小さいの、見るからにあくの強いの、いたって真面目そうなの・・・・・・。
私は彼らの短い芸(ほとんど1発ギャグ)を順繰りに見て行く。しかしだいたいが素通りだ。ときたま嫌味に鼻で笑う程度。

そんな中、一人の男に目がいく。地味な男だ。小太り、ニット帽、不精髭、小さい目、全身ユニクロっぽすぎる服。彼は私をみて、おどおどした口調で言う。
「ほにゃらら番(みんな胸に番号札をつけているのだ)ほにゃらら(名前)いきます」
彼は数秒間うつむき、突然顔を上げて言う。

「くるみを食べるリスー!!!」

五本の指をめいいっぱい開いて、右手を前に伸ばし、顔中の筋肉を駆使して、信じられない数の皺を作り、怖ろしいまでに目を見開く。歪んだ口、むき出しの歯。
人間離れしている。鬼のような形相。よく通る声。しかし、言う言葉は「くるみを食べるリス」だ。わからん。まったくわからん。

だが、印象には残る。使い捨てするには十分いいキャラだ。私は彼に決める。何をきめるのかはわからないが、とにかく決める。
「君、もう一度見せてくれないかな」
なんていったところで、夢はお開き。チャッチャラスチャラチャ チャッチャッ♪
またいつか、あのえらい人になりたいな。今度は接待なんていいなあ。

にがおえ

私は似顔絵に描きにくい顔らしい。有料で何回か描いていただいた事がある。はりすなおさんに描いていただいたことも、なぜかある。もちろん有料でだ。
はりすなお(漢字がわからない)さんの方はだいぶ小さい頃なので、似ていたのかさえよくわからなかったのだが、その後、無名の画家に描いてもらったものは、親しい友人や家族に見せても「うーん・・・・・・」と言われる出来栄えだった。私も「うーん・・・・・・」と思ったもの。

一度、似顔絵描きの人に、描き終わって代金支払い時に聞いてみたこともある。「私の顔って描きやすかったですか?」と。
「正直むずかしかったです」と言われた。知人にも描きにくいと言われたことがある。
私は上顎が出ていて噛み合わせが悪いので、そこを誇張すればいくらかましだろう。しかし、似顔絵はふつう、正面から見た顔を描く。厄介さ、その1。

その2は、顔面に反映されている内面的要素の希薄さだと思う。似顔絵に描きやすい顔の人は、顔立ちもあるだろうけれど、その気質が表情に現れやるいのだろう。
明るい人なら、どこかに少し明るさを取り入れ(たとえば口角を上げぎみに描くとか)、優しそうな人なら実際より表情のやわらかさを誇張したりするのだろう。
いじっても差しつかえのなさそうな、ノリの良い人には欠点を誇張してもいい。だいたい、似顔絵を描いてもらおうなんて人間はよっぽどのナルシストでもないかぎり、一人でいる事は少ないのではないだろうか。友人同士やカップルで、どちらか一方が描いてもらい、もう一方が見物している事が、私の知っている限りでは多い。

が、私ははりすなおさんを除いては、1人でいる時に描いてもらった。そして、私はノリが悪い。表情も豊かではない。口調も事務的だ。
そんな奴はどちらかと言うと似顔絵など描かれたくないんじゃないか?画家は「なんだ、この人は」と思い、扱いに困る。ノリが悪い人間は誇張しづらいし、さっきも言ったように、私は横顔の方が誇張しやすい顔立ちだ。
仕方がないから絵描きは、実際よりも控え目に、当たりさわりのない顔に描く。だから似ていない。

しかし私は全身ならば描きやすい。長髪で黒っぽい服にして、サングラスをかけさせる。女にしては骨太だし、男にしてはひょろっとしている。
顔は小さくないが、頭は小さい。首がやや前に出ていて、ぼけっとっした感じだ。
見ようによっては性別と国籍がよくわからない。試しに今ささっと描いてみたが、すぐ描けたもん。
指先にしまりがないというか、落ち着きがないところもポイントだ。

自分の似顔絵を描くって面白い。暇な方はぜひお試しください。

 ピカソ展

ゲ―ジツなんつうものとはてんで縁のなかった私だが、ピカソは有名なので観てみたかった。画集を一度見た程度の知識しかないが、青の時代以前の作品はいいなと思っていたので、今回はそれはそれは楽しみに行った。が、展示してあったのは青の時代以降。
「ああ、絵がうまい。とても若いのにすごいなあ」と思ったり、「闘牛、けっこう気持ち悪いよな」と思いたかったのに残念だ。

が、気を落とさず楽しんできた。

しかし、私は絵って何も知らんな。キュビズムなんて意味を知ったのは今日が初めてだったよ。しかし、立体を分解して再構成するって考えは気に入った。私はグロテスクな物が好きなので、人体の表面だけではなく内臓バージョンが見たかった。
だが、やっぱり福笑いに近い。世界の有名人100人の顔と体、格パーツ入り福笑いが売っていたら絶対買う。たまたまスクランブル交差点にいた人福笑いでもいいな。

でもでも、行ってよかった。¥1500は無駄じゃなかった。素人目に見ても性的ニュアンスが含まれている作品を前にフロイトがどうのこうの言っている「ザ、案の定」な人達はあまり感じのよいものではなかったが、全体的に客層も枯れていたので疲れなかった。

気に入った作品もあったし、そうでないものもあった。ここでは気に入ったものだけを挙げる。筋肉
隆々、肉弾劇画風の裸婦。磔刑、つまりはりつけにされた人の絵。これは周囲の人たちがそれぞれてんでばらばらな事をしていて、そこが私の気に入った。
トラックの玩具で遊ぶ子ども、それから、デッサンするクロード、フランソワーズ、パロマこの二作は何とも言えない。観ればわかるが、とにかく和風なのだ。よくある浮世絵調の絵とは全然別物。特にデッサンするクロードのほうは、描かれたのは1953年と1954年らしいが、本当にそれくらいの時代(もう少し前ならなお良いが)の日本の田舎の貧しい中学生男子が弟や妹をモデルに描きましたって感じなのだ。生活感にあふれ、非常に貧乏くさい。これは褒め言葉だ。
「にいちゃん、はらへった」 「東京に行けば映画スタアがごろごろいるんだろうね」「また芋か」 「おら、将来は立派な画家になって、かあちゃんやミツヨに楽させてやるんだ」「ありがとうよ。健作。おまえは絵が上手だからね。母ちゃん、もっと内職がんばって絵の具を買ってやるからな」
この世界なのである。

いいよね。ぐっとくる。行って良かった。

おかきのバランス

化粧品代をおさえるために、などと自分に言い訳してスキンケアをなまけていた。だが、26日のホットバーニングさんでの撮影会に向けて、これじゃいかんと思いケアを再開した。

しかし、いくら表面に塗りたくっても、食うものがこれまで通り「毎晩ごま塩ご飯」じゃ意味ないな、と思い、できるだけ体に良さそうなものを口に入れるよう心がけている。

そうして私は昆布に取りつかれた。

今日は合計60グラムを食べた。昨日もそのくらい食べている。今なんか食べ過ぎで気持ち悪いが、きっと明日も食べちゃうんだろうなあ。
だって、美味いのだもの。10切れで止めておこうと思っても、やめられない、とまらない、のである。
私をとりこにしてやまないの何といっても、大きさや厚みのばらつきによる味のバリエーションである。
同じ袋に入っている同じ昆布でも、歯ごたえ、味の濃さ、のみ込んだ時の満足感、何もかもが微妙に違う。

菓子をあまり食べない私だが、こういった魅力を備えている菓子ならば大歓迎だ。まあ、しょっぱい、もしくは辛いもの限定だが。
わかりやすい例をあげるなら、ファーストキッチンのフレーバー・ポテトなんかがそうだ。いくら袋をふって粉をまんべんなくまぶしたつもりでも、味の濃い部分、そうでない部分にかなりばらつきがある。袋の底のほうなど粉だけがかたまって残っていたりする。
あれがたまらなくうまい!「ああ、ちょっと足らん」ってくらいの量だからまたいいのだ。完璧に満足させないというのがリピーターを生む理由の一つだと思う。

それから私は「おかき」も好物で、中でも味のしみているものが好みだ。しかし、一袋全部味がしみていたら、それは失敗だ。同じおかきでも、画像のようにいかにも醤油がしみこんで味の濃そうなものと、比較的あっさりしていそうなものとがある。
私が美味しいと思うのは味の濃そうなものだ。しかし(繰り返すようだが)それだけじゃあだめなのだ。
だから、こういった味にばらつきのありそうな菓子を選ぶ時の私は、本やCDを選んでいる時なみに真剣だ。

時と場合によってはスーパー・マーケットの床にかがんで、棚にあるだけ全部のおかきを取り出して、賞味期限を見比べるおばちゃんよろしく、醤油のしみ具合を比べるのだ。そして、だいたい2~3番目くらいに味の濃そうな袋をかごに入れることにしている。

この話、分かる人には分かるのだろうけれど、そうでない人には究極にどうでもいい事だよな・・・・・・。

私の生い立ち

『私の生い立ち』と題されたノートが出てきたので、ここに書き写してみようと思う。写すと言ってもそのままでは漢字が少なくよみにくいので、漢字については原文そのままというわけにはいかない。

:幼稚園の頃・落ち着きがない ・集団行動が苦手 ・だるまが怖かった ・突拍子もない行動に出た・末っ子のためか、ちやほやされていた ・幼稚園の先生に「犯罪者になるかもしれない」と言われた ・とにかく死にたくなかった・わがままさは人並み ・頑固さはケタ外れ・小さな事が不安だった ・おけいこ事を習いたがった ・親の趣味でひらひらしたドレスを着せられ不満だった ・だが、ファッションにはうるさかった・人とかかわるのが好きじゃなかった ・きれいな物が好きだった ・大人びていた ・年のわりに語彙が豊富だった・大人みたいな子ども ・自己主張がはっきりしていた ・親を質問攻めにした ・ああいえばこういう子

:小学校低学年(六歳から九歳)・消しゴム、シールなど、集め出すと止まらなかった ・やはり団体行動が苦手だった ・やはり落ち着きがなかった ・詩がコンクールで入賞した・年より上に見られていた ・お化けは信じていなかった(サンタクロースも) ・友達は少なくはなかった ・男子とよく遊んだ・足を骨折して左側に体重をかけるようになった ・スキンケアをし始めた ・やはりちややされた ・いじめっ子の気があった・外見にコンプレックスがあった ・超人に憧れた・成績は良く、テストはほとんど100点(しかし、この年齢ではそれが当たり前) ・中でも作文が得意でよく模範になった ・大人の中で育った ・ナルシスト

:小学校高学年(10歳から12歳)・男子と馬鹿な絵を書いた ・スーパーモデルブームから流行に興味を持ち出した(好きだったのはシンディ・クロフォード) ・メイクを始めた・だが洋服は地味だった ・電車やバスに子ども料金で乗れなかった ・老け顔がコンプレックスだった ・わりと一人でどこへでも出かけた・やはり落ち着きがない ・やはり作文が得意 ・成績はごく普通 ・古い漫画に興味を持った・初めてモノクロ映画(チャップリンもの)を自らの意思で観た ・丸井で服を買っていた ・せっかちになってきた ・やはりナルシスト・団体行動は我慢すればできるようになった ・多分生涯で一番明るかった ・会社経営が夢だった ・妄想癖があった ・恋愛に興味がなかった

:中学一年生・団体行動が苦手とさとられないよう、つとめて明るく振る舞った ・急に成績が下がった・やはり作文は得意だったが、わざわざ模範になりそうなものを書かなくなった ・教師が嫌いだった ・親とは仲が良かった・やはり恋愛に興味が持てず、周りの子がうつつをぬかす理由がさっぱりわからなかった ・やはり妄想癖があった ・老け顔で人生で最高潮ブスだった・周りに合わせようとして精神的にまいっていた ・「美しい人」より「お洒落な人」が偉いと思っていた ・長い付き合いになる友人ができる・PHP文庫のとりこ 中谷彰宏さんにはまった

:中学二年から三年・やはり落ち着きがない ・やはり老け顔 ・妙なところで大人びていた ・ため口がきけなかった ・人見知りがひどくなった ・反抗期はなかった・学校がきらいだった ・あいかわらず教師がきらいだった ・ごく少数の友達とだけ遊んだ ・さらに昔の映画にはまる・もともと好きだった昔の音楽をもっと好きになる ・『ガラスの仮面』から昔の漫画にはまる ・やはり恋愛に興味がない ・やはりナルシスト・やはり死にたくない ・負けず嫌い ・せっかちが悪化 ・あいまいなものが大きらいだと知る

:高校時代・ネイルアートなどこまごました作業が好きになる ・親しい人を除いてはかなり猫をかぶっていた ・さらに古い文化全般が好きになる・ヒット・チャートがわからなくなりはじめる ・TVを見なくなる ・やはりナルシスト ・やはり恋愛に興味がない・時々奇行をするようになったらしい(自分では意識して
いない) ・とにかく古い漫画を読み漁る・小説も量は少ないが読むようになる(英米文学中心) ・やはりメイク、化粧品が好き ・歌うのが好き ・化粧品の企画や開発に携わりたいと考える・外見のコンプレックスが止まらない ・やはり負けず嫌い ・好きな事には熱中するが、興味のないことはいっさいやろうとしない性格だと気づく・やはり曖昧はきらい ・アイディアを出すのが好き ・人ごみで呼吸困難をおこす ・睡眠障害になる ・変なところで完璧主義 ・スポ根に興味を持つ

らしいっすよ。今と大差ない部分が多く自分でもびっくりだ。

ブスノ卵

「女性向け読み物」みたいなタイトルだが、これから私が女性達に素敵な生き方を提案しようとしているのでは、当然、ない。あしからず。

コロンブスの卵って言葉がある。私は、あれの謂れをウン十回目の生理を迎えるまで――つまり、だいぶ遅い時期まで――知らなかった。ふつうは小学生とかでも知っているものだよねえ。きっと。
我が家は親子そろって物知りじゃないので、生理をウン十回目経験している娘と、生理はおそらくもうなかったであろう母親とで、ずいぶん悩んだ。

コロンブスは何か卵を使って斬新な事をしたんだよ。それが何だか思い出せない!などと言っていると、母親が急に「卵を立たせようとしたんだ」と言った。
「そういえば、そんな話を聞いたことがある」と私も同意した。しかし、以前からこの性格だ。コロンブスが何をしたかがわかっても、どうやってしたかわからなければ意味がない。
今だったらネットで検索して一発なのだが、当時の私はパソコンアレルギー。触るのも嫌だったと記憶している。だから、自力で調べた。どうやったら卵は立つのか、を。

まずは冷蔵庫から卵を取り出し、ごく普通に皿の上に置いてみた・・・・・・が、立たない。何度やっても立たない。きーっ!
元凶は何なのか?私は骨董品の品定めをする鑑定士のように、卵を見て、触れて、手の中でその重さを確かめた。
案外重い。しかも、重さのわりに皿と触れる面積が少なすぎる。本当につるんと丸い。たまご肌などと言うだけある。
母親は「茹でれば立つんじゃない」と言っていて、私も内心そうかもなと思ったが、何とか生のまま立たせてやりたかった。
そこで私は少々手荒な手段に出た。卵を握り、力を入れすぎないよう気を配りながら、皿に叩き付けた。
皿に触れる面積を増やしてやりゃあいいと思ったわけだ。これが、思いの外うまくいき、卵は見事におっ立った。あの感激は忘れない。後に父親が帰宅し、コロンブスの卵の謎を解明するべく私がとった手段はけっこうイイセン行っているとわかり、「へっへーん」と思ったのだが、母親はなぜかうかぬ顔。

「コロンブスはゆで卵だからいいが、あんたの場合はそれを生卵でやった。割れて中身がこぼれるリスクを考えていない。無茶なやり方だ」と非難された。確かにそれはそうなんだけどさ。
何でこんな話をしたかというと、最近この話をむしかえされ(親ってのはしょっちゅうむしかえしますよね)、思いだしてしまったからだ。
だが、あの時非難された屈辱も思い出してしまった。私はつくづく思ったね。似たような事をしても、えらいとされている人と、ろくに勉強もしない馬鹿娘じゃあ周囲の反応もずいぶん違うものなのだな、と。
偉い人で思い出したが、次の札って誰になるのだろう。もう候補とかいるのかしら?多分少なくても十数年後だろうから、今よりもう少し新しめの人になる気がする。
手塚治虫さんあたりはどうだろう。イイセン行っていそうだが。でもやっぱり私なんぞが言っても説得力ないのだろう。

Tuesday, January 12, 2010

更新したいのだが



あまりよろしいことではないので、落ち着くまでそうもいかず。せっかくマッキントッシュを買ったのにさ。しばしお待ちください。

それから、撮影会に参加してくださった皆様、どうもありがとうございました!