Wednesday, February 23, 2011

ゴーギャン展の高齢者たち


なぜか今まで言い忘れていたのだが、先日ロンドンで生涯忘れられない光景に遭遇したんだった。

テート・モダンに行くことは当然、旅のスケジュールに組み込まれていた。ロンドンはこれから何度も行くことになるだろう。大英博物館も、ナショナル・ギャラリーもいつでも行ける。だからまずは、とにかくテート・モダンだった。

私はどこの国に行った時でも、一番メジャーな現代美術館に行くよう心がけている。そこにあるものは勿論のこと、そこにいる人々の着ている洋服なんかを見るのがことのほか楽しみなのだ。

始まりは多分L.A.のMoCAで、その時たまたま私の前でチケットを買っていたカップルは、私の中での永遠のベスト・ドレッサーなのだ。失礼とは思いながらも、さりげなくカメラにおさめさせていただいた。その写真は今でも大事にしている。

そんなわけで、テート・モダンでも、ファッションチェックをしつつ、美術鑑賞をするのが楽しみでならなかった。

いざ入館してみると、予想通りお洒落な人達がいた。彼女達は充分に目を楽しませてくれていたし、着こなしのインスピレーションを与えてくれていた。だが、そんな人たちに交じって、なんだか年配の人たちの姿が目についた。

まあ、そういうのも悪くないな、と思った。さまざまなジャンルの人が同じものを観にきている。素敵なことだと思う。

常設展はそんな感じだった。事態が急変したのは、ゴーギャン展の会場に足を踏み入れた時だ。そこは明らかに空気が違っていた。

まず、平日とは思えない混みようだった。どこの国にいたって、並ぶのは勘弁願いたい。

それも、並んでいる人達の九割以上は、どう見ても七十歳は軽く超えていらっしゃった。

そうか、そういうことだったのか。きっと普段のテートモダンならば、入館者の多くはファッショナブルな若者なのだろう。だが、ゴーギャン展開催中の今は、たとえ常設展であっても、そういうわけにはいかないようだ。

とにかくインパクトのある光景だった。

百人を優に超すお年寄りが、狭い空間の中、一堂に会しているのだ。

彼らはとてもマイペースに楽しんでいる。借りたのか、持参したのか、簡易椅子に腰掛けたり、椅子の上で、絵を観るわけでもなく、世間話に花を咲かせたり、半世紀続く愛をささやき合ったり。

ほのぼのすると同時に、そのうちに何だか気が滅入ってきた。

全ての高齢者が、積み重ねて来た人生の豊かさを漂わせていたのなら、決してこんな気持ちにはならなかったのだろうが、中には、明らかに「負」のオーラを漂わせている人もいた。

こういう風に年を重ねたい、と思わせてくれるような人もいたが、こういう年寄りにはなりたくない、という人もいた。

それは、年齢には関係ないことのようにも思えるが、実際に圧倒される数の高齢者に囲まれてみると、うらやましい人と、そうでない人との差が、若者よりずっとはっきりしていた。

私はあまりにも場違いで、そそくさとその場を離れるしかなかった。

高齢女性特有の化粧品の匂いも、微かになら懐かしい気持ちになっていいものなのだが、あれだけむんむんとしていると、胸焼けがしそうだった。あの化粧臭は各国に共通している。いったいどこにああいう匂いのする白粉が売っているのだろうか?

その場を後にしても、私はなんだかどっと疲れてしまった。何だか自分まで年をとった気がした。もしも私がもっと若かったのなら、あの場にいてもこんな風に気が滅入ったりはしなかったのだろう。だが、私は老いがまったく見えないほど若くもないし、親となるとますますそうだ。老いはあまりにも身近にありすぎて、とても神秘的だとは思えない。

しかし、いい経験をしたと思う。なかなか味わえないもの。

皆さんも、西洋人のお年寄りを一度に大量に見たいのなら、ゴーギャン展に足を運んでみましょう。いつまで開催されているかはわかりませんが。もう終わっていたらすみません。多分終わっていると思うんだよな。

4 comments:

  1. 杏里さんは美しく年をかさねそうですね

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  2. 海外にいくと、欧米の人とすれ違うと基本的に笑顔の人が多い。でも東南アジアなど貧困の国にいくと、やはり厳しい表情の人が多い。もちろん全世代共通点だが。富と貧困の差なのか。育ちに関係するのか。ただそんな中でも、とびきりの笑顔で迎えてくれる人がいる。
    単純な様ですけど、一概にはいえない意見だと思います。。
    人それぞれ意見は違うと思うけどどう感じますかー?!

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  3. つい先日聞いた「老いるということは、自分の付き合っている他人が死ぬことなんです」と言う言葉を思い出した。

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